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ニューズレター第1号(Oct. 12, 1982)

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IAMLの課題            遠山一行

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IAMLは,音楽の文献に関心をもつ人々を中心とした国際的な組織である。厳密な意味の学会ではないが,そのメンバーには音楽学者や,音楽の図書館学に専門的な知識をもつ人々が多い。我が国にその支部がつくられた事情については別にかかれるとおもわれるが,日本支部成立以来わずかの期間に会員も増え,その活動も次第に活発になっているのは大いに喜こばしいことである。
音楽あるいは音楽学の発展の基礎として,音楽文献の整備が必要なことはいうまでもないが,その要求が質量両面で大いに高まったのは,我が国の音楽文化の進展の確実な証である。また日本音楽への各国の音楽家の関心も広まり,この分野での日本の貢献が求められている。IAMLに与えられた課題はますます大きくなるだろう。
こうした目的を達成するために,IAMLは各種の関聯団体や機関,とくに音楽学会および日本音楽図書館協議会との密接な協力が望まれるが,それは今後の課題として残されている。
更にまた,我が国の明治以来の洋楽音楽資料の組織的な改集・整理も,現在の緊急の課題のひとつである。これは音楽図書館協議会の来年度の重要課題としてとりあげられたが,IAMLも積極的に協力してゆくべきだろう。
IAMLは,あくまでも個人の自主性を重んじた組織だが,団体としての加入も認められており,そこにさまざまな問題があらわれてくることも予想される。本会が,本来の自由な雰囲気と人間的なむすびつきを守り育てながら,会員ひとりひとりの学問的向上を通じて,我が国の音楽文化に寄与するところがあれば幸いである。また,今後ますます強まるにちがいない国際的な協力への要請にもできるだけ応えて行きたいと願っている。

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IAMLとその日本支部           村井範子

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IAMLの成り立ちと活動
第2次大戦後の1949年という年は,ヨーロッパ諸国はようやく戦争による混乱や疲弊から立ちなおり,文化活動や学術活動がよみがえり始めた年でした。国際音楽学会は既にもともとの萌芽をただせば第一次大戦以前にまでさかのぼる長い歴史をもつ団体ですが,この1949年に戦後はじめての音楽学の会合をバーゼルで開きました。International Association of Music Libraries(1980年より,この名称はInternational Association of Music Lbraries,Archives and Documentation Centresと改められる。IAMLと略称される)はその同じ1949年という年にフィレンツ工で第1回の会合を開き,翌1950年にはリューネブルクで,そして1951年にはユネスコの肝いりでパリで第1回の公式の総会を開いて,やがて大きな国際団体となる組織の礎を築いたのでした。今年で33年の歴史をもつことになりましょうか。
このIAMLは,音楽図書,文献,資料に関して目録作製,業務の標準化,図書館員の教育と養成,図書館相互間の資料の交換などの事柄についての規準を明らかにし,国際的な規模での協力を強めようという団体として形成されました。毎年,音楽図書や文献,資料に関する研究の発表,情報交換,具体的な分類,目録作製などについての討論の会議を開き,3年に1回,総会を含む大会を開くという形で今日に至っております。
会議の報告,学術論文,新刊楽譜や図書などの一覧表や論評は機関誌Fontes Artis Musicaeに掲載され,会員に配布されます。この機関誌の第1号は1954年VladimirFedorov氏の手で編集されましたが,またFedorov氏のIAML設立への貢献はじつに大きく,この団体の副会長,会長としてIAMLの活動を推進させ,晩年は名誉会長としてもっとめました。IAMLの会長となって活躍した入たちは, Fedorov氏のほか,Richard S.Hill,Alexander Hyatt King,Folke Lindberg,Andres Jurres,John H.Davies,Harald Heckmann,Barry S.Brook氏らであり,現在はRedfern氏がその任に当っています。
IAMLは個人会員と団体会員で構成されており,会員数は初期の段階から現在に至るまで増えつづけ,各国支部の活動も今や活発なものになってきました。とくに目覚ましい活動をつづけている支部は,西ドイツ,イギリス,東ドイツなどで,その活動状況は出版物や定具現刊行物にうかかい知ることができます。
IAMLには,必要に応じて研究部会か設けられ,活発な研究活動がなされております。音楽大学や公立の図書館,放送関係図書館,学術専門図書館,MICとびろく呼ばれている音楽情報センター,目録法の規準化や書誌学的研究などの部会が現在開かれております。また国際音楽学会との緊密な提携から,3つの重要企画が推進されてさております。別稿で示されているRISMとRILMの活動がそれに当たります。もう1つの企画は,RIdIMと略称されているもので,Repertoire international d*iconographie musicale(音楽図像学目録)です。これは音楽に関連する視覚的素材を使用する際の便利な助けとして目論まれたものです。この新しい研究分野における全画は1971年にうちたてられ,Barry S.Brook氏を会長として研究七ンターをニューヨークに置き,RIdIM News Letterは1975年8月に第1巻第1号が出され,以後今日まで定期的に刊行されております。

IAML日本支部の設立と歩み
IAMLの存在や会議のこと,機関誌Fontesのことを私が聞き知ったのはもう20年も前の私のイギリス滞在中のできごとでした。英国支部長からIAMLへの入会手続きを知らせてくださった手紙が今日まで手もとに残っております。しかし当時は会議出席などは国際的制約から今日のように簡単にできる時期ではありませんでした。やっと長年の夢が実現できたのは1972年9月のボローニアで開かれた年次大会への出席でした。当時私は図書館で,楽譜図書の分類やカタログ整理の仕事をしたりもしておりましたので,この会議出席はすべて印象的で,とくに参加者たちの研究発表や熱心な討論には強く心うたれました。このニュースレターでRISMを執筆してくださっている岸本宏子さんも丁度この地に留学中で,いくつかの会合には一緒に出席することができました。しかしIAMLの個人会員には,もっと前の1967年の会議(於ザルツブルク)から出席なさっている上法茂氏がいらっしゃいました。この頃より以後3人は機会に恵まれた析,会議出席を重ね, IAMLへの理解を深めてゆくことになったのでした。
こうした個人会員の見聞とは別に1967年にはRILM日本国内委員会が発足して,次第に充実した歩みを進めて今日まで続けられてきておりますし,またこの間,1976年ごろからRISMと日本との関わり合いもでき,それらの活動は別稿で示される通りです。日本支部設立の直接的なきっかけは,IAMLの規約第5条2aと第6条とに関連して日本の会員数が10名以上(団体会員も合めて)になったことからおこってきました。当時のIAML会長Harald Heckmann氏と事務局長のLonn氏より依頼を受け,日本における支部設立の準備を進めました。多くの入たちの賛同や協力を得て,個人会員4,団体会員7からいっきょに個人会員37,団体会員7の合計43の会員数となりました。
小さな準備会が7回も開かれ,様々は問題が討議された後,1979年7月9日総会が会員の手で開かれ,IAML目本支部が設立の運びとなりました。新しく生れた日本支部は,支部長に遠山一行,事務局長に村井節子,会計に渡部恵一郎をえらび,他のボード・メンバーに,設立に大きな力を貸してくださった福島和夫,古荘隆保,上法茂,正木光江,松下釣,平尾行蔵をえらび,これらの情報はIAML本部事務局に報告され,Fontes誌上にも掲載されました。その後規約にしたがって代表者の大会への派遣も行なわれ,日本支部設立後のはじめての第12回大会(於ケンブリッジ)では遠山支部長が理事会の席で日本支部を代表して挨拶を行ない,他の国々の代表者たちから歓迎をお受けになりました。この大会では総会でも日本支部の設立が全会員に事務局長から報告され,ここでも多くの他の会員たちから歓迎を受けました。
日本支部の活動はまだ揺藍期といってよいものです。しかし年々会員もふえ,3年を経た現在では個人会員55,団体会員16,合計71の数に達しました。地域的にも東北から九州にまでも広がり,例会の内容も順をおって多彩になり,会員間の親しい交流も生まれてきました。年次大会,大会でも既に日本よりの報告発表(音楽大学図書館部会で行なった日本の音楽大学図書館の現状やスペシャルコレクションに関する報告:村井範子担当)も数回行なわれ,今後も様々な面からの協力が望まれることが多くなってゆくことでしょう,
会員が増えていったことでIAMLの構成員としての日本支部の役割も大切になってきました,今後は支部活動の内容を充実し,国内的に,国際的に少しづつ具体的な成果が生まれてくることをねがっております。

 

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IASAについて

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International Association of Sound Archives(IASA)は毎年,IAMLと共同して国際会議を開くIAMLの姉妹団体といってもよいほど親密な団体です。録音資料を保存するアルヒーフ間の国際協力機関として,1969年に設立されました。録音されたものの保存,使用法,録音技術,再生法,アルヒーフ間の録音盤の交換や情報交換などサウンド・アルヒーフの専門業務に関連するすべての課題に活発に対処する団体です。
会員は団体会員と個人会員で構成されており,年3回機関誌Phonographic Bulletinを刊行しております。日本の会員は現在のところ創設当初からの個人会員上法茂氏1名だけときいております。

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RILM国内委員会の神話時代        初代委員長 野村良雄

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国際本部が生れたのが1966年の夏なのに,日本国内委員会が早くも翌年に生れているのは,ひとえにB.S.Brookさんの大変なエネルギーにあおられてのことだったと思います。芸大音楽楽部楽理科研究室におかれていた音楽学会事務所を仮事務室とし,とりあえず1967年1月日以降発表の論文や著書の要旨作成や収集を開始し,本部に送付することに成りました。秘書の小林達子さんには,とくに大変な御苦労をかけたと思います。発足当初の委員は服部幸三,小泉文夫・皆川達夫3氏と私でしたが,翌年には海老派敏・角倉一朗・谷村晃3氏がさらに加わって下さいました。財的援助は初年度には野村学芸財団と音楽之友社,次年度からさらに遠山音楽財団から助成金が与えられるようになりました。ついに1971年10月に,事務局を南美音楽文庫に移すことが出来るに至って,神話時代を閉じることが出来ました。
当初から私の一番気になっていたことは,日本語のローマ宇表記の方法の統一の問題です。いつでしたか日本で開かれた国際ドキュメンティションの会議でも,日本側から日本式でという案も一部からは出されていました。その後大阪の国立民族学博物館のようなところが,ちゃんと日本式をとって下さって,本当に仕合せだと思っています。固有名詞だけである,書名や論文表題はむろんのこと,あらゆる場合に日本語をできるだけ正式にローマ字で記すことは,これからますます必要となることですから,漠然とヘボン式を借用しては困ることが山積して来ます。ローマ字表記法の根本問題を,是非これからも真剣に御検討願いたいと思う次第です。

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RILM日本国内委員会の歩み

RILM国内委員会前事務局長 正木光江

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音楽学会が創立30周年を迎えたこの記念すべき年に,IAML日本支部のニュース・レターの発刊が実現の運びに至ったことを,はじめに心からお慶び申しあげたい。
そしてまた,IAMLの重要なプロジェクトのひとつであるRILMの日本国内委員会の活動も,本年でちょうど15ヵ年を経過した。1960年代から,地球は文字通り急速に狭くなってきた。また電波による情報伝達手段の高性能化,録音技術の飛躍,コンピューターの登場等々,こと音楽学が対象とする領域も複雑,多岐の一路を辿り,音楽学の全領域を網羅する文献目録の作成には,国際協力が必至となってきたのである。このような時代の趨性に促されて,国際音楽学会(IMS),国際音楽図書協会(IAML),アメリカ学術会議の三団体の協力により,1966年夏,RILM(Repertoire International de Litterature Musicaleの略称)国際センターがアメリカのニューヨーク市立大学内に設立され,国際的な規模で音楽学関係文献目録作成の業務が開始されることになった。RILM国際センター設立に当っては,当初より現代に至るまで会長の任にあられるB.S.Brook教授,副会長のF.Lesure,H.Heckmann両教授ほか,K.v.Fischer,K-H.Kohler,J.LaRue,Z.Lissa,C.Sartori,J.Westrupらの諸音楽学者が初代本部委員会メンバーとして名を連らねておられた。国際センターは会長1名,副会長2名ほか,協力母体のIMSとIAMLから3名ずつの委員を委嘱して本部委員会(Commission International Mixte)を構成し,現在では世界43ケ国に国内委員会(National Committee)を設置して,本部委員会がこれを統括するという形をとっている。毎年開催されるIAML総会と,5年毎に開かれるIMS総会では,必ず各国のRILM実務担当者による会合と,一般参加者から広く意見を汲み上げる公開審議会が行なわれ,RILMが発行しているRILM abstracts誌(国際音楽文献要旨目録)の編集の在り方に,世界中の音楽学者の叡智を反映させ得る道を開いている。
RILM abstracts誌は,世界各国からニューヨークのRILM国際センターに送付された最新情報を,コンピューターを使用して迅速に分類・整理・編集し,原則として年4冊発行している。(うち1冊は索引編である。)現在は1967年1月1日以降公けにされた文献を対象としており,さらに発刊より5年ごとに索引項目をさらに細く細目分けして,あらゆる観点から該当する論文を引き出せるように整備した著者・事項総合索引「RILM abstracts Cumulative Index I一V‐1967〜1971」が1975年に刊行されており,同索引「VI−XI‐1972〜1976」も近刊が予定されている。
さて,RILM国際センター設立後,直ちに国内委員会設置を依頼されたわが国の音楽学会では,役員会の承認を得て即時委員会を成立させ,東京芸術大学音楽学部楽理科研室に置かれている音楽学会事務所を仮事務所として,1967年初夏から業務を開始した。この揺藍期に秘書を務められた小林達子さんのご苦労は,想像を絶するものであったとお察しする。
1971年10月より,国内委員会事務局は南美音楽文庫内に移転し,RILMの実務は南葵音楽文庫の業務に組み込まれることになった。1973年7月には委員会会則を正式に制定し,委員の選出母体を,音楽学会,社団法人東洋音楽学会,音楽団書館協議会の三団体に改め,国際的な協力ばかりでなく,邦語による音楽文献要旨目録の発行を事業の一環に加えた。しかし,この邦語による目録の発行によって,委員会の予算規模と事務量は一挙に膨れ上ることになり,委員の方々も私自身も,以後運営基金の調達に奔走する明け幕れとなった。RILMの南葵時代,それは試行錯誤を繰り返しながらも,関係者一同が,国内委員会の十全な事業遂行のための運営上,経済上の路線づくりに向って全力を傾けた時代に他ならない。国際センターに送付するRILM abstfacts誌掲載のためのより完全な欧文要旨の作成(国内委員会にご送付いただいた執筆者ご白身による欧文要旨は,多くの場合,校訂と再清書が必要であった。)には,日本の伝統音楽の研究のために芸大楽理科大学院に留学されたJ.Siddons,E.Richard,H.David各氏のご協力が心強い限りであったが,難問山積の連続であったことも否めない。国内版目録の第1集は「日本音楽文献要旨目録」と題して1973年10月刊行されたが,吉川英史先生より「このタイトルでは,日本の伝統音楽の文献目録と間違うおそれがあります。」とのご指摘をいただいて,翌年よりタイトルを現行のごとく改めた。RILMにご理解を示された方々のご尽力で,助成団体も増加し,休刊年を出すこともなく,本年はこの国内版も第10集が上梓される。
1976年9月には,会長のブルック教授が来日され,日本国内委員会の実態を視察された。この折の臨時委員会においては,国際センター側より,日本国内委員会が設立当初より協力に尽し,定期的に正確な欧文要旨を送付していることに対して感謝を述べられたあと,(1)日本国内にRILM abstracts誌の購読層を大幅に拡張するべく努力されたいこと,
(2)総合索引に採用した索引項目のtransliterationに関して,ドイツ語,フランス語,ハンガリー語,ロシア語に対してはsee-referenceを付して行われているが,日本語についてもこの種の対照表を作る必要があると思われること(この案件は未だ実現されていない。),
(3)「音楽学」「東津音楽研究」に掲載された論文は全て洩れなく国際版に登録すること,(4)RILMに対応する音楽の第一次資料の目録であるRISMに対しての日本の協力と当面のRISM Cシリーズ「Dictionary of Music Research Libraries」の日本国内の情報をまとめて提出してもらいたいこと等の要請があり,日本側からは主として収録範囲に関する質疑が出されたが,私達か日頃不満に思っていた西欧音楽一辺倒の国際版における分類体系再考の要請にまでに議論が及ばずじまいであった。
さてまたもや,ようやく軌道に乗りかけてきたかに思われた国内委員会に,非常事態が持ち上がった。1977年4月,南葵音楽文庫の突如としての財団法人解散と再閉鎖である。南美音楽文庫は同年7月に完全に業務を停止したが,RILM委員会事務局の移転問題はその後も一年間決着をみず,ようやく1978年7月,武蔵野音楽太学のご厚意により,同大学が,江古田校舎の福井記念館地階の一室を無償で提供して下さることになった。このため国内版目録第6集の刊行も一ヵ月遅延したが,ともかく実現にこぎつけた。この騒ぎの中で,数年来要請が続いていたIMC(国際音楽評議会)日本支部の加盟がもはや辞退し得ない情況となり,洗足学園大学に助成団体にお加わり頂くことを条件に,1978年RILM日本国内委員会はIMC日本支部に加盟した。
移転問題は落着をみせたものの,武蔵野音楽大学付属図書館に業務までもご負担いただくことは不可能であり,これまで南葵音楽文庫に依拠していた人件費の全てを国内委員会の経費で賄わなければならなくなった。1979年度の国内版目録第7集の刊行は断念せざるを得ないという窮状に直面した折,遠山音楽財団がその刊行費用の全額をご負担下さるという思いがけなく季けない恩恵を腸り,第7葉の刊行も滞りなく完了したのである。さいわい音楽文献要旨目録の需要は確実に増え続け,これまでの実績を認めて下さったアカデミア,ミュージック社のご厚意で販売ルートも確立され,品切れの第1・2集も再版された。国際版の公刊はこのところ数年遅れの状態が続き,もはやRILMがモットーとする「最新情報を迅速に……」は意味をなさなくなってきているが,それだけに国内版刊行の持続と紙面のより一層の充実を,とりわけ国内版の総合索引刊行の実現を期待して止まない。
設立当初から懸念されてきた本委員会が抱えている数多くの障害にもかかわらず,15年間とにもかくにも挫折することなく今日まで存続し得たのは,びとえにこの難事業に対する多くの方々のご理解とご支援の賜物であり,まったくの無報酬でご本務の寸暇をお割き下さりながら運営の労をとってこられた歴代の委員長,野村貞雄,丹羽正明,岸辺武雄,平島正郎の諸先生方,歴代の委員を務められた服部幸三,皆川達夫,海老沢敏,角倉一朗,谷村晃,金沢正剛,小泉文夫,小島美子,徳丸吉彦,平野健次,古荘隆保,渡部恵一郎,内田るり子,佐野光司,寺田兼文,戸口幸策,山口修,吉田泰輔,蒲生郷昭,佐藤馨,武田明倫,遠山一行,中野博詞,繁下和雄,柘植元一,福島和夫,船山隆の諸先生方,助成団体および委員選出団体各位,事務室を提供して下さった武蔵野音楽大学の皆様に,ここに紙面をお借りして改めて深甚の謝意を申しあげたい。最後に,まったく適性を欠いた非力極まりない私を,1971年10月から1979年9月までの8ヵ年間,支え,励まして下さった岸本宏子さん,村原京子さん,住川鞆子さん,岡野雅子さんをはじめ,事務局のスタッフの皆様方に感謝の念を捧げつつ,RILM日本国内委員会の今後のご発展を心よりお祈り申しあげたい。

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RILM日本国内委員会の現在

RILM国内委員会事務局長 住川鞆子

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規約に定められているように,RILM日本国内委員会は,音楽学会,東洋音楽学会,音楽図書館協議会の3団体から選出されるそれぞれ三人ずつの委員及び事務局長をもって構成されている。委員会は通例,年4回開かれ,そのうち1回は,「音楽文献要旨目録」編集のための編集会議である。通常の委員会は運営上の諸問題や,ニューヨーク本部との協力作業の審議,及び文献選定(事務局が収集作成した文献一覧表からRILM abstracts誌や「音楽文献要旨目録」に掲載すべきものを選定する)を行う。一方事務局の最も大きな仕事は文献の収集である。現在は民族音楽,日本音楽関係担当,単行本担当,研究紀要,論文集その他の逐次刊行物担当に分かれ収集に当っているが,研究紀要・論文集掲載の文献情報については国立音楽大学付属図書館の協力を得ている。選定は委員会の責任において行われるが,作業の能率上,文献収集の段階で,掲載規準に確実に外れると判断されるものを除外する必要があり,このため事務局員には原則として音楽学の修士課程修了者を得ている。

業務について
RILM日本国内委員会は元来RILM abstracts誌に日本で公表された文献を登録することを活動の出発点としていた。しかしこのために1年間に収集される約700〜900件の文献情報をそのまま廃棄するのは惜しく,これを活用すべく「音楽文献要旨目録」の刊行が始まり,爾来本年をもって10集を数えるに至っているが,現在では業務上の比重や,国内での浸透度の点では「音楽文献要旨目録」の刊行が重い。その理由のひとつは,1年間に収集される文献のうち,要旨やコメント付であるかタイトルのみであるかを問わずRILM abstracts誌に登録されるものが有効文献数のうち僅かに10〜15%程度であることによる。いまひとつの理由は,あらゆる学問の分野で文献の二次情報の必要性が認識され,経済的に採算のあう自然科学や工学,経済学の分野ではすでに充実した二次情報誌の刊行が行われているにも拘らず,音楽関係の学術的文献の全領域を射程に入れた二次情報誌が「音楽文献要旨を目録」以外にはないことによる。

現在の問題点
現在のRILM日本国内委員会にとって運営費の過半数を助成金に依存するという経済的基盤の弱さが絶えざる重要な問題であることは言うまでもないが,本来の業務に関しても問題を抱えている。
その第一にして最も重大な問題点は,国内で公表される文献情報を完全には把握しきれないことにある。ひとつは音楽関係以外の様々な刊行物,学会誌,機関誌等に発表される文献の収集が困難であること,また,シンポジウムや会議報告,記念論文集等の情報も意外に収集洩れがあるし,国文学関係,宗教学関係の刊行物中に公表される日本音楽関係の文献の場合,元来国文学関係の刊行物が多いだけにこれもまた困難である。更に地方の教育委員会や研究会,研究家達による刊行物の情報の把握も極めて難しい。この問題に対しては,研究者の研究業績登録制度の活生化を望み,また「音楽文献要旨目録」の国内普及による情報提供を待つというのが現状である。
問題の第二は,毎年の目録刊行だけでは不十分であり,RILM abstracts誌に倣って,既刊の「音楽文献要旨目録」に対する総合索引を刊行することが望まれるにも拘らず,経済上の理由からその刊行の見通しが全く立たないことである。「音楽文献要旨目録」は要旨目録を名称に寇しているにも拘らず,要旨が付されている文献は約1割強にすぎない。その一方で,「音楽文献要旨目録」は一応主題別に文献を分類してあるが,より特殊的主題のもとに過去10年間の文献の中から必要な文献を検索する場合には現状では時間的にかなり不経済であると同時に,要旨の数の点からみても情報量は少く総合索引が求められるのである。今後の発展のためにも,情報提供,要旨執筆等の御協力を皆様に切にお願いしたい。

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日本のRISM         岸本宏子

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RISMとは,楽譜,著作などのオリジナル資料の所在ほか,音楽史研究に必要な情報をカタログ化するという国際協力によるプロジェクトです。IAMLとIMSの共同プロジェクトの1つとしてRepertorie Internationale des Sources MusicalesがRISMと略称されているのは御存知の通りです。最初にRISMに関わった人たちは,1952年にInternational Music Councilの後援で開かれた第1回のIAMLと国際音楽学会つまりIMSとの共同会議に参加したHigini Angles,Friedrich Blume,Vladimir Fedorov,Richard S.Hill,A.Hyatt King,Leopold Nowak,Nino Pirrotta,Albert Smijersといった人たちでした。
RISMの仕事としては,作曲家の資料を扱ったAシリーズ,ジャンル/種類別の資料のBシリーズ,世界の音楽図書館便覧のCシリーズの3種のカタログのシリーズが1961年の策1冊目以来,すでに30冊近く出版されています。
日本が目ざましい経済成長をとげた60年代後半頃から,貴重な西洋音楽史関係資料のオリジナルがぼつぼつ日本に流入するようになったらしいのですが,日本に入ったものの追跡がむずかしく,所在,実態がわからない,何とかならないものかという声を海外でよく耳にするようになりました。また,南葵文庫のように戦前から存在した資料も海外にははとんど存在を知られていませんでした。当時の日本の音楽学および図書館活動の領域では国際活動への参加協力はもちろんのこと,国内の実態の把握も夢物語に等しい状態でした。
そこへ新しい第一歩のきっかけを作ったのが,当時RILM委員長であったBrook氏の来日です(1976年)。当時のRISM委員長Rosing氏の依頼をうけてBrook氏は,日本の音楽学者達との話合いを積極的に重ねました。その結果,音楽学会の中に総員3名(海老沢敏,金沢正剛,皆川達夫),非役員3名(小俣純雄,岸本宏子,住川鞆子)から成るRISM小委員会を設け,とりあえず依頼のあったAシリーズ第1巻の補遺のための作業を行うことになりました。短日時であったため都内の重要音楽コレクションの調査のみでしたが,報告害を本部に提出するところまでこぎつけました。
残念ながら当時はまだ,国際協力に積極的に取り組む機運が十分に熟しておらず,RISM小委員会の作業はこの時の1回のみで中断されたままになっています。小委員会そのものは正式に解消されてはいないのですが,音楽学会はその後何回かの役員改選をへて当時の記憶もうすれています。
次回のプロジェクトはオペラのリブレットの所在調査で,日本のRISM小委員会にも協力依頼が何度か来ていますし,作業のためのコンピューター用コードも届いています。しかし手紙の受け取り手さえはっきりしない日本側の現状では,対応はおろか返事の手紙を出すことすらできません。RISMの作業に恒久的な協力を可能にするような受け皿が日本にもできて,作業の再スタートができることを望む気運が音楽図書館員,研究者の間に高まってくれることを強く願っています。
IAML日本支部も今や設立されて3年たち,音楽図書館協議会の活動も軌道に乗り,音楽学会の態勢も整ってきている現在,図書館員,学者の協力が一体となれば国際協力に参加できることも現実の問題として話せる状況になってきているのではないでしょうか。

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IAML日本支部例会より

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平尾行蔵     バイエルン州立図書館における手稿楽譜の整理について

手書楽譜の所蔵目録は音楽研究の基礎資料を提出してくれる。出版物 - 印刷楽譜 - の書誌記録を作成するのとは違って,唯一無二の手書楽譜の整理には特有の困難が伴う。図書館では,どういう人がどういう学問的水準の目録を作っているか,従って研究者はそれに何を期待することができ,あるいは期待することができないか。ドイツでは,日本とは大いに異なる図書館員養成制度を前提条件として,この問題をいかに解決しているのだろうか。発表者が1981年に半年間にわたって研修を行ったバイエルン州立図書館音楽部門での見聞を基に,実例を挙げながら具体的に説明したい。大筋においてここでのやり方をドイツにおける一般的手法と考えてよいであろう。スライド使用。

市川利次     目録の将来について

将来の目録の在り方について,(1)将来における目録の役割(2)目録規則の改訂とその問題点(3)新しい目録業務といった観点から検討した。
特に,(1)については,将来,個別図書館の目録といえども,世界書誌情報の一部として機能させる必要があり,その為には,UBC(Universal Bibliographical Cortrol)及びNBC(National Biblinsraphical Control)と自館目録との関係を最適なものとせねぱならない。従って,将来,目録の完全な機械化が行われるようになる迄には,図書館には様々な種類や形態の目録が混在せざるを得ないが,その際にあっても,例えば印刷カード購入や,外部目録作成システム導入といった選択に際して,UBCやNBCの観点からの厳重なチェック(特にAuthority Fileの存否と精度)を必要とする,といった点を指摘した。

長谷川由美子       RILM Abstractsにおける資料収集のメカニズム - 時に雑誌資料を中心として - 

RILMにおける資料収集のメカニズムを,“FontesArtis Musicae”誌上に発表されたRILM Reportから探るとともに,“RILM abstracts”掲載資料を,分類別総項目数及びその割合,総項目における雑誌文献の比率,カテゴリー別にみた誌数,一般雑誌の割合を中心として計量的に把えた。その結果,網羅性を高めるための努力がなされる一方,一つの資料を掲載するか否かについて,次第に厳しい選択基準を設定していこうとする動きが明らかになった。なお,この発表は,国立音楽大学図書館館報「塔」22号,1982 pp2−17に基づいて行った。

大橋敏成        「アイゴノグラフィー入門」 - 絵画は音楽の演奏解釈にどのように役立つか - 

絵画に描かれた演奏の図ほど演奏者の空想をかきたてるものはない。それが長い間演奏の伝統がとだえていた古楽器を学ぷものには尚のことであろう。〈当時演奏されていたように〉再現したいということに価値を見出す今日の古楽演奏にとっては,その絵画的資料が科学的に分析され解釈される必要がある。T.ダートはファン・アイクの「ゲントの祭壇画」における合唱する人達の顔の表情が器楽奏者のそれと対照的に苦しさうなのに着目し,当時の発声法は今日のものとは全く異っていたと推論している。14・5世紀の三声のシャンソンをどのような編成で演奏すべきかも同時代の絵画は多くを語っている。今日の楽器との条件の相違(ネックのそり具合,駒の高さなど)を理解する上にも重要である。楽器の奏法も,ガンバに例をとれば,演奏のポーズは時代によって異なり,弓の持ち方もさまざまで,それらの発見を実際に演奏研究することにより,結果として出てくる音の像の違いに驚かされるのである。
(スライドで実例を示しながら説明された)

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IAML日本支部            例会記録

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第1回 1979年10月20日(土) 国際文化会館会議室
1.  1979年IAML年次大会(於ザルツブルク)報告 --- 村井節子,福島和夫
2.  今後の活動に関する意見の交換
3.  その他

第2回 1980年1月26日(土) 国際文化会館会議室
1.  新春雑感音楽資料館の構想 --- 遠山一行
2.  欧米図書館MSSカタログのリスト作製について --- 渡部恵一郎
3.  資料紹介:石井多恵子編『欧文による日本伝統音楽文献目録』

第3回 1980年3月15日(土) 国際文化会館会議室
1.  日本音楽の文献所在目録について --- 福島和夫
2.  音楽に関する用語の解釈と訳 --- IAML分科会での専門用語に関連して村井節子
3.  目録法における最近の国際的動き --- ISBD成立の由来およびISBD(PM)について --- 平尾行蔵

第4回 1980年6月21日(土) 国際文化会館会議室*
1.  ヨーロッパの図書館山 --- 戸口幸策
2.  く目録の将来〉について --- 市川利次
3.  資料紹介:日本伝統音楽の分類表
*同日1980年総会もおこなわれた。

第5回 1981年1月31日(土) 国際文化会館会議室**
1.  ヨーロッパの図書館(2)南フランスの図書館 --- 松前記男
2.  第12回IMALコングレス(於ケンブリッジ)報告 --- 遠山一行,村井節子,他
**同日,臨時総会もおこなわれた。

第6回 1981年5月30日(土) 国際文化会館会議室
1.  絵画と演奏 Musical lconography入門 --- 大橋敏成
2.  アメリカの図書館(1)東海岸の図書館めぐり --- 岸本宏子

第7回 1981年11月21日(土) 尚美高等音楽学院1号館9階会議室
1.  わたしの留学報告 --- 平尾行蔵
2.  アメリカの図書館(2)公立図書館ごボストン・パブリック・ライブラリの場合 --- 岸本宏子
3.  ヨーロッパの図書館(3)ハイドンの資料をめぐって --- 大崎滋生

第8回 1982年1月30日(土) 国際文化会館会議室
1.  ヨーロッパの図書館(4)ハイドンの資料をめぐって --- 大崎滋生
2.  西ドイツ音楽学会国際大会(1981年9月於バイロイト)に参加して --- 寺本まり子
3.  1981年l AML年次大会(於ブダペスト)報告 --- 村井純子,平尾行蔵

第9回 1982年3月20日(土) 東京文化会館4階会議室中No.4
1.  日本の古典音楽史料に関する問題点 --- 福島和夫
2.  ヨーロッパの図書館(5)バイエルン州立図書館における手書楽譜の整理について --- 平尾行蔵
3.  アメリカの図書館(3)ハーヴァード大学の場合 --- 岸本宏子

特別例会 1982年4月17日(土) 東京文化会館4階会議室中No.2
 講演   French music printing under three Renaissance kings --- Dr. Isabelle Cazeaux (通訳=岸本宏子)

第10回 1982年6月19日(土) 東京文化会館4階会議室中No.2***
1.  ヨーロッパの図書館(6)バイエルン州立図書館における手書楽譜の整理について(2) --- 平尾行蔵
2.  RILM abstractsにおける資料収集のメ力ニズム --- 特に雑誌資料を中心として --- 長谷川由美子
***同日,総会もおこなわれた。

--- 以下次号 ---  

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こんなカタログも出ています連載 @

日本の図書館等における音楽資料の所蔵目録(1977以後)

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■ 愛知県立芸術大学附属図書館
『蔵書目録』第9輯 増加篇(1)美術・楽書・楽譜 愛知県立芸術大学附属図書館編 長久手町 同大学 1977 61,45,41p. 26cm
『蔵書目録』第10輯 増加篇(2)美術・楽書・楽譜 愛知県立芸術太学附属図書館編 長久手町 同大学 1979 47,13,7p  26cm
『蔵書目録』第11輯 増加篇(3)美術・楽書・楽譜 愛知県立芸術大学附属図書館編 長久手町同大学1981 44,104p 26
■国立劇場
『国立劇場公演記録資料目録』視聴覚資料篇1 国立劇場調査養成部資料課 国立劇場 1982 264p 22×30cm
『国立劇場所蔵図書目録』1 国立劇場調査養成部資料課編 国立劇場 1978 117p 26cm
『国立劇場所蔵レコード目録』義太夫節の部1 国立劇場調査養成部資料課編 国立劇場 1977 133p 25cm
■国立国会図書館
『蘆原英子コレクション目録』 国立国会図書館所蔵 第1巻 洋書編 第1分冊 舞踊 国立国会書館収書整理部 同館 1982 xii,219p 27cm
■国立音楽大学付属図書館
『Mozart*s disc』 国立音楽大学附属図書館編 編集担当 松崎操 立川 同大附属図書館 1977 168p 26cm(Kunitachi Music College Library Discography series: no.2)
■武蔵野音楽大学楽器博物館
『武蔵野音楽大学楽器博物館目録』第3巻 学校法人武蔵野音楽学園創立50周年記念 武蔵野音楽大学楽器博物館編 同大学 1979 89p 21cm
■武蔵野音楽大学図書館
『年間収書目録』 第二十号 昭和五十一年度 武蔵野音楽大学図書館編 同大学図書館 1977 203p 26cm
『年間収書目録』 第二十一号 昭和五十二年度 武蔵野音楽大学図書館編 同大学図書館 1978 308p 26cm
『年間収書目録』 第二十二号 昭和五十三年度 武蔵野音楽大学図書館編 同大学図書館 1979 338p 26cm
『年間収書目録』 第二十三号 昭和五十四年度 武蔵野音楽大学図書館編 同大学図書館 1981 229p 26cm
『年間収書目録』 第二十四号 昭和五十五年度 武蔵野音楽大学図書館編 同大学図書館 1981 236p 26cm
『年間収書目録』 第二十五号 昭和五十六年度 武蔵野音楽大学図書館編 同大学図書館 1982 205p 26cm
■音楽図書館協議会
『音楽関係逐次刊行物所在目録』 音楽図書館協議会編 1979年版 立川 同協議会1980 xi,129p 26c
『オペラ全曲楽譜・レコード所在目録』 音楽図書館協議会編 立川 同協議会 1978 xi,110,49p 26cm
■大阪音楽大学附属楽器博物館
『大阪音楽大学附属楽器博物館目録』 大阪音楽大学附属楽器博物館編 豊中 同大学 1979 51p 26cm
■栃木県立図書館
『作曲家別クラシック・レコード目録』第1巻 昭和55年2月20日現在 同館音楽資料室編 宇都宮 同館 1980 410p 26cm
■東海大学附属図書館
『田辺コレクション レコード・テープ目録』 東海大学附属図書館編 平塚 同図書館 1978 235p 26 cm
■東京芸術大学
『楽器展 東洋の昔・西洋の音』 同大学〔1977〕 14p 26 cm
『音楽教育資料展目録』 同大学〔1977〕〔4〕,31p 26 cm
■東京音楽大学附属図書館物館
『蔵書目録5』I 音楽(和書)東京音楽大学附属図書館編 同大学 1977 101p 26cm
『蔵書目録』II 音楽(洋書) 東京音楽大学附属図書館編 同大学 1979 281p 26 cm
『蔵書目録』III 楽譜(器楽) 東京音楽大学附属図書館編 同大学 1981 409p 26cm
■東京声専音楽学校
『図書室資料冊子目録』(視聴覚資料,図書など)第1集 同校 1980 62p 26cm
■東京都港区立みなと図書館
『レコード目録ビデオ・テープ目録』 フリントセンタ一編 昭和54年度版 同館 1979 118p 26cm
■遠山現代音楽研究所
『山田耕作資料目録』第1巻 I 声楽曲1 遠山現代音楽研究所編 同研究所 1981 139p 26cm
■上野学園大学楽器研究室
『上野学園所蔵楽器目録ヨーロッパ17〜19世紀』 上野学園大学楽器研究室著 上野学園 1980 243p 19×26 cm
■上野学園日本音楽資料室
『上野学園日本音楽資料室第三回特別展観 能楽資料展下掛系統の譜本出陳目録』 福島和夫編〔解題〕 同資料室 1978 25p 26cm 会期:昭和52年11月7日〜19日
『上野学園日本音楽資料室第四回特別展観 声明資料展出陳目録』 福島和夫編〔解題〕 同資料室 1978 25p 26cm 会期:昭和53年10月16日〜31日
『上野学園日本音楽資料室第五回特別展観 日本音楽資料展出陳目録』福島和夫編〔解題〕同資料室197934P26Q11会期:昭和54年10月27日〜U月24日『上野学園日本音楽資料室第六回特別展観 江戸浄瑠璃河東節資料展出抜目録』福島和夫編〔解題〕 同資料室 1980 26p 26cm 会期:昭和54年12月1日〜20日
■早稲田大学図書館
『視聴覚資料目録レコード・テープ』(昭和52年度整理分) 早稲田大学図書館編 同大学 1978 63p 26cm

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IAMLミ二情報 @

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◎IAML日本支部例会で主題のひとつにヨーロッパ・アメリカ・日本の図書館シリーズを比較研究の試みとしてとりあげております。個々の内容については二ユース・レターの次号で扱わせていただきます,
◎IAML規約(1980年度)の邦訳ができました。英仏独語の原文より村井節子,関根敏子,寺本まり子が邦訳いたしました。内規(原文)の最新の版は事務局にあります。
◎海外より,五線譜で表わされた日本の伝統音楽の楽言普や,英・独・仏語で書かれた日本の伝統音楽に関する本を求める声が強くあります。情報をおもちの方は,事務局までご一報くださいますようおねがいします。
◎Music Teaching institutionの図書館部会の部会長Anthony Hodges氏より音楽大学図書館資料についての主査を依頼されております。近く関係図書館に調査アンケートをお送りしますのでご協力よろしくおねがいいたします。(部会委員 村井節子)
◎IAMLの会議中,Public Library部会ではすでに何度か,公立図書館の音楽部門で盲人にいかにサーヴィスできるかという問題がとり上げられ討議されてきていますが,最近アムステルダム公立図書館より日本支部宛て点字楽譜の所蔵カタログこ点字によるものを含む)が寄贈されました。支部では現在会員安藤静枝が点字楽譜・音楽書の情報を担当しております。
◎IAML日本支部は,1979年,会員福島和夫を通してInternational Music Council(IMC)日本国内委員会に入会しました。国際的音楽活動の情報をいただいているほか。定期刊行物〈The World of Music〉の送付を受けております。なお1980年IAML大会(於ケンブリッジ)ヘの代表2名派遣には,IMC国内委員会を通じてユネスコより国庫補助を受けることができました。

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シリーズ IAMLの人と顔 @

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ウラディーミル・フェドロフ 1901〜1979
IAMLの設立と発展に力を尽した人の中でも決して忘れることのできないのが,ウクライナ生まれのフェドロフ氏でしょう。氏は帝政ロシアの有名な政治家の家に生まれましたが,政治情勢の変化から家族と共にトルコ,ついでフランスに移りアンドレ・ピロらに師事して音楽学を学びました。1933年からソルボンヌの図書館,ついでパリの国立図書館の音楽部,そしてパリ音楽院で優秀なライブラリアンとして活動し,この間,1951年のIAMLの設立に際してはその中心メンバーのひとりとして活躍しました。RISMもフェドロフ氏の尽力でスタートできたと言って過言ではないでしょう。International Council of Music,IMSのプレジデントとして活躍したことも彼の重要な功績として忘れるわけにはゆきません。彼がエディターをつとめたIAMLの機関誌Fontes Artis Musicaeの1973 / 3は,ヴォルガング・レーム氏による追悼文を掲載し,彼の音楽に対する愛情の深さと,IAMLの恩人としての彼の輝かしい功績を讃えたのでした。(Y.M.)

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Fontes Artis Musicae創刊号より

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  IAMLは機関誌としてFontes Artis Musicae(音楽の泉)の創刊号を1954年に刊行しております。1977年のマインツの第11回大会の後で当時会長であったHarald Heckmann氏にお会いしたとき,日本支部設立のことに話はおよび,氏がその析V.Federov氏編集のこの創刊号をくださいました。その一頁一頁を眺めたとき,IAML設立当時のことやこの機関誌に寄せられた多くの期待や情熱が強く伝わってくるのが感じられました。巻頭書から下記の文を紹介させていただきます。「私たちは今やこの団体の機関誌をもつことになりました。この機関誌Fontes Artis Musicaeは,もはや会員のみの問で配布する目的のBulletinではなく,より広範囲の聴衆にまで声の届く,外に開かれた舞台なのです。
Bulletinからこの新しい国際的な機関誌へ大きな一歩が踏み出されました。これから徐々に歩みを進めて行きましょう。しかしとにかく今や機関誌があるのです。これは私たちが各自の仕事を認識し,各自の責任を自覚するためにあるのです。
楽譜やレコードの図書館員であろうと,あらゆる種類の音楽資料の管理者であろうと,私たちはいわば音楽芸術の源泉に立っているのです。これらの資料を近づき易いものにし,拡げ,役立たせることが私たちの仕事です。私たちの‘Fontes’は,これらの資料をどのように扱うか,教えてくれるのです。そしてまた専門家には技法上の記事の執筆をおねがいし,それぞれの国の文献や国際的な文献の数を増やし。あらゆる種類の有用な情報を集め,IAMLやIAMLの多くの研究部会や,各国支部の活動に親しく従ってゆくことでしょう。この‘Fontes’は,開かれたあらゆる資料を探索し,この‘Fontes’そのものが貴重な資料となるよう努めましょう。」(村井範子)

(以上)