******************************

ニューズレター第15号(Apr.15,2001

******************************

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
IAMLエディンバラ会議
 −バルト三国の音響アーカイブの発表を聴いて
                 加藤 修子
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 2000年度のIAML年次大会は8月6日から11日の日程でイギリスのエディンバラで開催された。私のIAML年次大会への参加は1991年のプラハ大会以来のことで、かなりの空白がある。また、海外旅行も5年ぶりのことで、新たにパスポートをとりなおし、国際線の搭乗手続きや空港での乗り換え等すべてのことにとまどってしまった。従って、今回の年次大会出席は、半分は英会話や会議の雰囲気に慣れるためのリハビリ目的の参加であった。そんなわけで、きちんと会議に出席したという状況には程遠いので、この会議で特に印象に残った発表を中心に,日頃思っていることを書かせていただくことにした。
 会議初日、視聴覚資料(audio visual materials)委員会によって準備された「バルト三国における音響アーカイブ(sound archives)と録音資料(sound recordings)」という発表を聴いた。音響アーカイブというテーマに関心をもったのは、私自身が勤務先の大学で音響アーカイブ論、音響資料論、音響メディア論等の科目を受け持っているからである。
 ところで、「sound archives」と「sound recordings」の日本語訳については、統一した訳語がまだ定着していない。本稿では、「音響アーカイブ」と「録音資料」ということばを用いることにする。
 (音響アーカイブ等のテーマは、実際IAMLよりもIASA(International Association of Sound Archives)で主に取り上げられているのであろう。)
 発表の題目は次の通りである。
8月7日(月)11:15−12:45
バルト三国における音響アーカイブ(sound archives)と録音資料(sound recordings)
発表(1) リトアニア共和国における音響アーカイブ
発表(2) ラトビア共和国における録音資料:ラトビア音楽の録音についての近況
発表(3) エストニア共和国における録音資料
このうち発表(3)について以下に述べる。
エストニアの録音資料の発展は大きく三つの時期に分けることができる。
・第一期:1901年の最初の録音から1939年の第二次世界大戦の始まりまで。
・第二期:ソビエト連邦時代: 1949-1990年。ソビエト連邦時代の間、Melodiyaカンパニーが全てのレコード会社を独占していた。そして録音資料はモスクワに従属する極めて厳格に管理された分野であった。
 〔この当時のモスクワという存在はソビエト連邦の政治、経済、文化、イデオロギーすべての象徴であろう。おそらく、エストニアでは民間で自由に録音物(映像を含めて)を制作することが許されていなかったのだと思われる。特にこのような録音・映像資料が国外に無断で流れることを政府は禁じていたのであろう。これは、現在北朝鮮の国内の映像や録音が、テレビ等で海外に紹介される際、政府によって厳しく検閲・管理されているのと同様である。北朝鮮では国内の貧困状況等がしばしば報道されるが、そのような状況を映し出した映像や録音はみたことがない。〕
・第三期:1991年から現在に至る。この時期は、エストニアがその自立 (独立) を獲得した時代である。多くの小さなスタジオや自営のレコード会社が設立され,地方の録音資料制作会社の発展が促進された。1990年代にはこのような制作会社は飛躍的に増加している。1993年には100程度であった制作会社の数が,最近の数年の間に毎年300社ずつ増えている。現在エストニアのクラシック音楽は音楽市場全体の約20%を占める。録音資料の半分はエストニアのレコード会社と音楽家の主導権のもとに制作される。あとの半分は外国のレコード会社と海外の音楽家により制作されているが、大きなレコード会社のみでなく、小さなあまり有名でない会社も含まれる。エストニアには二つの主要なクラシック音楽の制作組織がある。レコード会社Forteとエストニア放送協会(Eesti Raadio)である。二つの制作組織はその録音に多くのアーカイブ資料を用いている。〔おそらく、ソビエト時代には録音や流通が厳しく制限されていたエストニアの歴史を証明する音(と映像)の記録が現在盛んにディスクやテープとなり市場に登場するのであろう。〕現代音楽は主に外国レコード会社により録音されている。この10年間に ChandosECMBISFinrandia RecordsAntesDeutsch Grammophon Eresといったレコード会社がエストニアの音楽市場で活動している。
エストニアにおける商業用録音資料を保存している最も主要な組織は、エストニア国立図書館 (National Library of Estonia)と演劇音楽博物館(Theatre and Music Museum) である。エストニア国立アーカイブ (Estonian National Archive)は録音資料のオリジナル〔マスターテープのことか〕を主に収集している。
 *以上,発表要旨より。〔 〕内は著者の補足。

 この発表を聞いて感心したのは、バルト共和国では、音響アーカイブ(sound archives)と録音資料(sound recordings)の区別がきちんとなされていることである。一方、日本では音響アーカイブの定義や考え方があいまいである。
 音響アーカイブ(sound archive(s))の定義を以下に述べる1)2)
(1)
録音装置(資料)によって作られ体系化されたインタビューや演奏(実演)等を、集中して保管・管理し、利用提供が可能なように組織化し、歴史遺産として継承するために創設された組織・機関を意味する。
(2)
またこのような組織・機関が有する録音された資料そのものを意味する。
 すなわち,音響アーカイブは録音資料の保管所と録音資料そのものという二つの意味を有する。(2) で定義された資料としての音響アーカイブは、録音資料である前に、保存すべき記録すなわち文化遺産であることが必要である。文化遺産の内、手書きの文書や印刷された文献ではなく、録音という手段により記録された資料が音響アーカイブである。従って、公共図書館や大学図書館が所蔵する教育や娯楽のために利用される録音資料とは区別される。
音響アーカイブと録音資料は、はっきり区別できるものではなく、その境界も明確ではない。しかし、上記の定義にあるように、バルト共和国の発表で、音響アーカイブと録音資料という両者の基本的な考え方が区別されていたことは非常に好ましかった。
 もう一つ、この発表で確認できたのは、音響アーカイブや録音資料の範疇に、いわゆる映像資料も含まれていることである。バルト共和国の発表では、民族音楽が記録されたビデオの上映が音響アーカイブや録音資料の一例として紹介された。
 『図書館用語集3)』によると、録音資料は一般に「映像資料に音声を同調させたものは含めないでいうことが多い」と定義されている。また『図書館情報学用語辞典4)』と『日本目録規則1987年版改定版』用語解説5)でも, 「ディスク、テープ
など、映像を伴わない音の記録物」というように、音のみの記録物をさしているとしている。『ALA図書館情報学辞典6)』でも,音声だけを保存(記録)する資料に対する一般的呼称としている。(ちなみに、これらの用語集や辞典には音響アーカイブ(soundarchives)という見出しは載っていない。)
 図書館関係の用語集や辞典は、映像を伴わない録音物を録音資料,映像に音響を伴う資料は映像資料として区別している。しかし、音楽図書館や音楽研究者にとっては、音響アーカイブや録音資料の範疇には映像も含まれるのである。舞台芸術や民族音楽・芸能の記録は、音と映像が共にあってひとつの記録となりうるものであるし、音が付加的なものではない。バルト共和国の発表でビデオ上映を観たとき、改めてこのことを認識した。もっとも、音響アーカイブや録音資料の範疇にビデオ等の映像も含まれるかどうかということは、あまり理屈っぼく考えなくていいのかもしれない。
 最後に、音響アーカイブや録音資料を保存・管理する組織についてである。エストニアでは、エストニア国立図書館、演劇音楽博物館、及びエストニア国立アーカイブが主要な収集保管所であり、それぞれの主要な機能が明確にされている。さて日本は、と考えたとき、録音資料については、音楽図書館をはじめ多くの大学図書館、公共図書館等で収集されている。また,レコードのアーカイブとして北海道の新冠にレ・コード館も存在する。
 しかし、国のレベルでどの程度音響アーカイブという概念が定着し、組織的に保存・管理されているのであろうか。確かに、国立国会図書館に音楽・映像資料室は存在するのであるが。
 英国図書館(BL)の国立音響アーカイブ(National Sound Archive: NSA)がイギリス放送協会(BBC)からオーラルヒストリーの大規模なコレクションの寄贈を受けたことを最近の記事で読んだ7)。NSAはその前身が1955年に設立され,1983年にBLの一組織となる。世界中から収集された大規模なコレクションをもち,様々なジャンルの音楽や演劇・文学に関する録音物、オーラルヒストリーさらに自然の音まで網羅した体系的な組織・管理を行っている。現在,百万以上のディスク、一万7千のテープを保管し、またビデオの収集も年々増えている8)。NSAでもビデオを収集していることがわかる。従って、音響アーカイブに映像資料が入るのかどうかということは、特に悩まなくていいとわかった。


引用文献・注釈

1)Stielow, Frederick J. The Management of Oral History Sound Archives.
  New York, Greenwood Press, 1986, 158p.(p.31)
) Ripin, Edwin M. "Sound archives." The New Grove Dictionary of Music & Musicians. Vol. 17. edited by Stanley Sadie. 1980, p.563-565
) 日本図書館協会編. 図書館用語集改定版. 東京, 日本図書館協会, 1996, 364p.
4)日本図書館学会用語辞典編集委員会編.図書館情報学用語辞典.東京,丸善,1997, 244p.
) 日本図書館協会目録委員会編. 日本目録規則 1987年版改定版. 付録6 用語解説. 東京, 日本図書館協会, 1994, pp.333-351.
) Young, Heartsill ed. The ALA Glossary of Library and Information Science. Chicago,
American Library Association. c1983.(
丸山昭二郎〔ほか〕監訳.ALA図書館情報学辞典.東京,丸善,1988, 328p.)
7)斎藤健太郎."CA1345 BLのオーラルヒストリーコレクション".カレントアウェアネス.No.254, p.5(2000)
8)The British Library National Sound Ar-chive.    
  [http://www.bl.uk/collections/sound-archive/overview.html] (last access 2000. 11. )

 

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
エディンバラ雑感
  岸本宏子
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 貧乏学生としてヨーロッパ各地の図書館を訪ね歩いて資料集めをしていた若き日に、スコットランドのかなり北まで旅をしたことがあります。
振り返ってみるとその後の私のイギリス行きは、半数近くがIAML会議のためでした(ケンブリッジ、オックスフォード、そしてエディンバラ)。
 日本に比べるとヨーロッパでは変化が少なく、特に、大規模建築物が忽然と出現したり姿を消したりすることはあまりありません。しばらくぶりに行っても、目をこすりたくなるほどの町のたたずまいの激変は、経験したことがありません。
 今回の旅でも、町のたたずまいそのものは、どこへ行ってもあまり変化していませんでした。しかし、30年近くの隔たりの後に私が目にしたスコットランドは(10年ぶりのロンドンも)、世の中の変化を決定的に私の肌に感じさせてくれました。
ひとことで言うなら「グローバリゼーション」という語がふさわしいのでしょうか。
  エディンバラに到着した日の夕刻、偵察がてらに散歩した街角のスーパーで、プラスチックのパックに入った「にぎり寿司」が並んでいるのを目にして、ある種の感動を覚えました(その後訪ねたエディンバラ以遠の中小諸都市でも、スーパーには「にぎり寿司」が並んでいました)。かつてインドや香港を支配していたイギリスですから、インド料理や中華料理は珍しくありませんでした。しかし今では、どこに行ってもピザやパスタ、さまざまなエスニック料理、マクドナルドやケンタッキー・フライド・チキンなどの外来ファーストフードの店が軒を連ねています。人が集まるところ、国を問わず風景が一様化してきている、という近年の感触を今回の旅ではことさら強く感じました。
  これは良き伝統の喪失にもつながります。紅茶に入れるミルクは、イギリスでは暖めてありました。今回の旅では、一度も温めたミルクにお目にかかりませんでした。
  よいこと、悪いことすべてをひっくるめた「グローバリゼーション」は、図書館の世界にも確実に押し寄せてきています。この流れに逆らうことはできません。
世の流れを肌で感じて、自分なりに比較してみることも、意義深いことだと思います。なるべく多くの支部会員が、IAML会議に出席することで、世の流れ、図書館のあり方など、肌身で何かを感じて、仕事に生かしていけますようにと、旅費の補助金制度を発足させました。「肌身に感じた」無形の財産も、目に見えるものと同様に貴重です。
 今年度の補助金に応募なさいませんか。

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
IAML
日本支部3月例会報告

日時:2001年3月24日(土曜日)
     1330分−1530
場所:東京芸術劇場小会議室
講演者:新山冨美子氏
題目:イエズス会劇『Mulier Fortis(細川ガラシャ夫人)』(DT_ Bd.152)を校訂して
――  
ヨーロッパ図書館での経験を中心に
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 岸本委員の企画のもとで実現された本例会は、200011月にDT_ Bd.152として刊行されたイエズス会劇『Mulier Fortis(細川ガラシャ夫人)』をヴァルター・パス教授とともに校訂された新山冨美子氏を招いて行われた。新山氏は、東京芸術大学で声楽を専攻した後、1972-75年ハンブルクおよびベルリンの音楽大学声楽科を卒業。1980年にウィーンに移り、ウィーン大学で音楽学を専攻(副専攻は日本学)、修士号を取得された。さらにパス教授のもとで音楽学、H.J.アウフ・デア・マウエル教授の許で典礼学を研究し、1993年にザルツブルクのベネディクト会女子修道院ノンベルクにおける中世の音楽生活に関する論文で哲学博士号を取得。1993年よりザルツブルク大学付属ザルツブルク音楽史研究所所員として活動されている。
 講演では、イエズス会劇『Mulier Fortis(気丈な夫人)』の校訂に関することのほか、新山氏が長年取り組んでいられる中世オーストリアにおける女子修道院の音楽生活についての研究現状などが取り上げられた。17世紀のヨーロッパで日本のキリシタンに関することがかなり話題となっていたという事実や、これまでの音楽史研究でほとんど顧みられていなかった中世の女子修道院の音楽活動とその役割、またそうした資料に関することなど、まったく未知なる興味深い内容が多々盛り込まれ、きわめて刺激的な例会であった。新山氏は本講演を、帰国直前に亡くなられたパス教授に捧げると語られておられたが、以下ではその内容を簡単にまとめたい。

<『Mulier Fortis(気丈な夫人)』について>
 16世紀から18世紀にかけてイエズス会やベネディクト会の教育機関では、学期末などに聖書や宗教的内容を題材としたラテン語劇が催された。学生を中心に演じられるこうした劇は、ラテン語会話の訓練の場でもあった。またダンスや音楽、フェンシング(身を守るための教科)なども含まれていることから、教育の総まとめとしての機能も担っていたのであった。17世紀のウィーンでは、ハプスブルク家が政治上の宣伝手段としてイエズス会を強く後援したため、皇帝宮廷内に設置されたイエズス会ギムナジウムのホールで音楽付きの劇が、ハプスブルク家後援のもとで盛んに上演された。『Mulier Fortis(気丈な夫人)』も皇室一族臨席の上で、1698731日(聖イグナチオの聖名祝日)に宮廷内のホールで、皇帝レオポルト1世(在位1653-1713)の妃エレオノーレ・マグダレーナ・テレジアの聖名祝日(726日)を祝して上演された作品である。題材は、厳しいキリシタン迫害にもかかわらず信仰を貫いた細川忠興の妻、ガラシャ(1563-1600)の殉教であるが、当時ヨーロッパでこの話は宣教師ら
によって伝えられ、栄光ある行為、信仰の手本として広く知れ渡っていた。とりわけウィーンでは、皇妃エレオノーレがガラシャの美しさ、気高さに匹敵すると評されていたため(エレオノーラは葬儀に際してもガラシャになぞられた)、とりわけなじみ深い題材であった。実際、17世紀初め以来、ヨーロッパのイエズス会劇には、日本のキリシタン弾圧における殉教をテーマとした作品は数多く、ガラシャをはじめ、高山右近、小西幸長などを題材とした作品もある。『Mulier Fortis』は、ウィーン国立図書館所蔵の5巻からなる手書きのイエズス会音楽劇収集本のなかに収められており、現時点の研究で音楽部分が完全に現存する唯一の作品である。そのため、およそ10年前オーストリアと日本の文化交流にちなんだ企画のひとつとして研究が進められ、昨年の刊行にいたった。
 台本は当時のギムナジウムの教授ヨハネス・バプティスト・アドルフ、音楽はイエズス会教会の楽長ヨハン・ベルンハルト・シュタウト(1654-1712)による。全体はプロローグとエピローグを持つ3幕構成で、シンメトリー構造となっている。総勢56人によって上演されるこの劇は、ガラシャや「野蛮な王」(=細川忠興)や侍女などの会話によって進行するが、合唱(丹後の若者による4声の合唱)やソロ・アリア(登場人物は、不変さ、怒り、無常、後悔などすべてアレゴリー)、器楽曲(楽器編成は、クラリーノ2、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、コントラバス1、通奏低音)やダンス(たとえば忠興凱旋の場面)が合間に挿入される。講演のなかでいくつかのアリアが実際の録音で紹介されたが、新山氏の指摘どおり、ヴェネツィアのオペラの影響が随所に見られ、音楽的にも非常に水準の高い作品であることがわかる。刊行された『Mulier Fortis』には、新山氏らの楽譜校訂、ラテン語テキストとそのドイツ語対訳の他、トーマス・インモース元上智大学教授によって宗教的な背景、またウィーン大学演劇学の教授マルグレート・ディートリヒによって演劇上の問題についての詳細な論考が収められている。それらの研究成果を生かした上演が一日も早く実現することを願わずにはいられない。

<中世オーストリアにおける女子修道院の音楽生活について>
 ヨーロッパにおける学問の主たる担い手が修道院、とりわけベネディクト会修道院であり、そこで活動した男性修道士たちの手による多くの写本は詳細な研究が重ねられてきた反面、修道女たちの貢献についてはこれまでほとんど顧みられることがなかった。しかし、たとえばノンベルク女子修道院には200冊以上の写本が存在し、修道女が典礼音楽の作曲や編曲、あるいはコピストとして中世の音楽活動の一翼を担っていた。またアドモントなどの他の女子修道院と積極的に交流し、聖歌集や書籍などの交換も行われていたことが氏の調査によって初めて浮かび上がってきた。中世において男性修道士は農民戦争などで学問だけに没頭する環境がなかなか得られなかったのに対して、たとえば王侯貴族の教養高い娘たちが生活するノンベルク女子修道院は、財政も豊かで、学問研究にも恵まれた環境であったのだ。しかし、修道院が所蔵する貴重な資料は国や市で管理するのが一般的であるドイツと違って、オーストリアの修道院では、自らの所有とするところが多いため、資料研究がきわめて困難という事情がある。女子修道院の場合にはさらに、男子禁制などの制約も重なり、研究を進めることには一層困難が伴う。新山氏は、ノンベルク女子修道院の調査が実現できたのは、様々な教会関係のパーソナル・ネットワークを駆使したこと、調査当時の女子副修道院長が所有コレクションの学問的研究を強く希望していたことなど、幸運が重なったためであることを強調された。近年では、修道士ではない専門の司書を置く修道院や、修道院側から大学などの専門機関に所蔵資料の研究を依頼するケースもあるなど、以前よりオーストリアの修道院における資料研究は進展しているが、閉鎖的な環境のなかで研究がいまなお困難であるという現状も指摘された。
(文責:米田 かおり)

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

事務局便り

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 *情報コーナー 

★Publication Received
 日本フルート協会会報 162-164
 音楽文献目録 28 /音楽文献目録委員会
The Hong Kong Children's Choir 2000 Live concert at Winspear Centre, Edmond

Canada (CD)
IMI News : 2000/1 / Israel Music Information Center

★Fontes Artis Musicae
落丁、乱丁
最近号 vol. 46 no. 3-4合併号について一部、落丁、乱丁が出ているとの報告があり、メールでお伺い致しました。本部から再送可能ですので、さらにお気付きの方は会計まで至急、お知らせ下さい。

 *会計報告 

2001年度会費納入及び、会議参加基金のご協力ありがとうございました。
 本部への会費送金が終了しました。

 

♪♪会員異動 

*新会員
  名古屋芸術大学付属図書館,
481-8503,愛知県西春日井郡熊の庄古井280
tel: 0568-26-3121 fax: 0568-26-3122

ネルソン、スティーヴン G.
 

*変更
松下鈞 e-mail: hitmatz@lib.kunitachi.ac.jp  
井上公子 九州芸工大退官 

*退会・休会
  東川清一 ・ 丹羽正明 ・ 渡部恵一郎

 

 *事務局だより

■2001年の日本支部総会について
 今年のIAML日本支部総会は、5月27日(日曜)の午後、六本木の国際文化会館で行われます。年に1度の総会です。ぜひご参加ください。なお、総会で審議すべき議題をおもちのかたは、できるだけ早めに、お近くの役員までお申し出ください。

ペリグー会議:申し込み開始
 2001年のIAML国際会議の要項がすでに本部から発送されています。皆様のお手元にも届いていることと思います。今年は7月8日から13日まで、フランスのペリグーで開催されます。世界各国のミュージック・ライブラリアンと親しくなるための絶好のチャンスです。ふるってご参加ください。

事務局への連絡について
 IAML日本支部では、日本近代音楽館のご好意により同館に事務局住所をおかせていただいておりますが、同館には事務局メンバーが常駐しておりません。郵便物などのチェックは遅れがちになってしまいますので、お急ぎの連絡は事務局長の電子メール・アドレスまで直接お願いいたします。

(以上)

 

 


IAML
日本支部ニューズレター 15

2001
415 発行
発行 国際音楽資料情報協会(IAML)日本支部
106-0041 東京都港区麻布台1-8-14
日本近代音楽館気付
http://www2.neweb.ne.jp/wd/iaml