2000年度のIAML年次大会は8月6日から11日の日程でイギリスのエディンバラで開催された。私のIAML年次大会への参加は1991年のプラハ大会以来のことで、かなりの空白がある。また、海外旅行も5年ぶりのことで、新たにパスポートをとりなおし、国際線の搭乗手続きや空港での乗り換え等すべてのことにとまどってしまった。従って、今回の年次大会出席は、半分は英会話や会議の雰囲気に慣れるためのリハビリ目的の参加であった。そんなわけで、きちんと会議に出席したという状況には程遠いので、この会議で特に印象に残った発表を中心に,日頃思っていることを書かせていただくことにした。
会議初日、視聴覚資料(audio
visual materials)委員会によって準備された「バルト三国における音響アーカイブ(sound archives)と録音資料(sound recordings)」という発表を聴いた。音響アーカイブというテーマに関心をもったのは、私自身が勤務先の大学で音響アーカイブ論、音響資料論、音響メディア論等の科目を受け持っているからである。
ところで、「sound archives」と「sound recordings」の日本語訳については、統一した訳語がまだ定着していない。本稿では、「音響アーカイブ」と「録音資料」ということばを用いることにする。
(音響アーカイブ等のテーマは、実際IAMLよりもIASA(International Association of Sound Archives)で主に取り上げられているのであろう。)
発表の題目は次の通りである。
8月7日(月)11:15−12:45
バルト三国における音響アーカイブ(sound
archives)と録音資料(sound
recordings)
発表(1) リトアニア共和国における音響アーカイブ
発表(2) ラトビア共和国における録音資料:ラトビア音楽の録音についての近況
発表(3) エストニア共和国における録音資料
このうち発表(3)について以下に述べる。
エストニアの録音資料の発展は大きく三つの時期に分けることができる。
・第一期:1901年の最初の録音から1939年の第二次世界大戦の始まりまで。
・第二期:ソビエト連邦時代:
1949-1990年。ソビエト連邦時代の間、Melodiyaカンパニーが全てのレコード会社を独占していた。そして録音資料はモスクワに従属する極めて厳格に管理された分野であった。
〔この当時のモスクワという存在はソビエト連邦の政治、経済、文化、イデオロギーすべての象徴であろう。おそらく、エストニアでは民間で自由に録音物(映像を含めて)を制作することが許されていなかったのだと思われる。特にこのような録音・映像資料が国外に無断で流れることを政府は禁じていたのであろう。これは、現在北朝鮮の国内の映像や録音が、テレビ等で海外に紹介される際、政府によって厳しく検閲・管理されているのと同様である。北朝鮮では国内の貧困状況等がしばしば報道されるが、そのような状況を映し出した映像や録音はみたことがない。〕
・第三期:1991年から現在に至る。この時期は、エストニアがその自立 (独立) を獲得した時代である。多くの小さなスタジオや自営のレコード会社が設立され,地方の録音資料制作会社の発展が促進された。1990年代にはこのような制作会社は飛躍的に増加している。1993年には100程度であった制作会社の数が,最近の数年の間に毎年300社ずつ増えている。現在エストニアのクラシック音楽は音楽市場全体の約20%を占める。録音資料の半分はエストニアのレコード会社と音楽家の主導権のもとに制作される。あとの半分は外国のレコード会社と海外の音楽家により制作されているが、大きなレコード会社のみでなく、小さなあまり有名でない会社も含まれる。エストニアには二つの主要なクラシック音楽の制作組織がある。レコード会社Forteとエストニア放送協会(Eesti
Raadio)である。二つの制作組織はその録音に多くのアーカイブ資料を用いている。〔おそらく、ソビエト時代には録音や流通が厳しく制限されていたエストニアの歴史を証明する音(と映像)の記録が現在盛んにディスクやテープとなり市場に登場するのであろう。〕現代音楽は主に外国レコード会社により録音されている。この10年間に Chandos、ECM、BIS、Finrandia
Records、Antes、Deutsch Grammophon、 Eresといったレコード会社がエストニアの音楽市場で活動している。
エストニアにおける商業用録音資料を保存している最も主要な組織は、エストニア国立図書館 (National Library of Estonia)と演劇音楽博物館(Theatre and Music Museum) である。エストニア国立アーカイブ (Estonian National Archive)は録音資料のオリジナル〔マスターテープのことか〕を主に収集している。
*以上,発表要旨より。〔 〕内は著者の補足。
この発表を聞いて感心したのは、バルト共和国では、音響アーカイブ(sound archives)と録音資料(sound recordings)の区別がきちんとなされていることである。一方、日本では音響アーカイブの定義や考え方があいまいである。
音響アーカイブ(sound
archive(s))の定義を以下に述べる1)2)。
(1) 録音装置(資料)によって作られ体系化されたインタビューや演奏(実演)等を、集中して保管・管理し、利用提供が可能なように組織化し、歴史遺産として継承するために創設された組織・機関を意味する。
(2) またこのような組織・機関が有する録音された資料そのものを意味する。
すなわち,音響アーカイブは録音資料の保管所と録音資料そのものという二つの意味を有する。(2) で定義された資料としての音響アーカイブは、録音資料である前に、保存すべき記録すなわち文化遺産であることが必要である。文化遺産の内、手書きの文書や印刷された文献ではなく、録音という手段により記録された資料が音響アーカイブである。従って、公共図書館や大学図書館が所蔵する教育や娯楽のために利用される録音資料とは区別される。
音響アーカイブと録音資料は、はっきり区別できるものではなく、その境界も明確ではない。しかし、上記の定義にあるように、バルト共和国の発表で、音響アーカイブと録音資料という両者の基本的な考え方が区別されていたことは非常に好ましかった。
もう一つ、この発表で確認できたのは、音響アーカイブや録音資料の範疇に、いわゆる映像資料も含まれていることである。バルト共和国の発表では、民族音楽が記録されたビデオの上映が音響アーカイブや録音資料の一例として紹介された。
『図書館用語集3)』によると、録音資料は一般に「映像資料に音声を同調させたものは含めないでいうことが多い」と定義されている。また『図書館情報学用語辞典4)』と『日本目録規則1987年版改定版』用語解説5)でも, 「ディスク、テープ
など、映像を伴わない音の記録物」というように、音のみの記録物をさしているとしている。『ALA図書館情報学辞典6)』でも,音声だけを保存(記録)する資料に対する一般的呼称としている。(ちなみに、これらの用語集や辞典には音響アーカイブ(soundarchives)という見出しは載っていない。)
図書館関係の用語集や辞典は、映像を伴わない録音物を録音資料,映像に音響を伴う資料は映像資料として区別している。しかし、音楽図書館や音楽研究者にとっては、音響アーカイブや録音資料の範疇には映像も含まれるのである。舞台芸術や民族音楽・芸能の記録は、音と映像が共にあってひとつの記録となりうるものであるし、音が付加的なものではない。バルト共和国の発表でビデオ上映を観たとき、改めてこのことを認識した。もっとも、音響アーカイブや録音資料の範疇にビデオ等の映像も含まれるかどうかということは、あまり理屈っぼく考えなくていいのかもしれない。
最後に、音響アーカイブや録音資料を保存・管理する組織についてである。エストニアでは、エストニア国立図書館、演劇音楽博物館、及びエストニア国立アーカイブが主要な収集保管所であり、それぞれの主要な機能が明確にされている。さて日本は、と考えたとき、録音資料については、音楽図書館をはじめ多くの大学図書館、公共図書館等で収集されている。また,レコードのアーカイブとして北海道の新冠にレ・コード館も存在する。
しかし、国のレベルでどの程度音響アーカイブという概念が定着し、組織的に保存・管理されているのであろうか。確かに、国立国会図書館に音楽・映像資料室は存在するのであるが。
英国図書館(BL)の国立音響アーカイブ(National
Sound Archive: NSA)がイギリス放送協会(BBC)からオーラルヒストリーの大規模なコレクションの寄贈を受けたことを最近の記事で読んだ7)。NSAはその前身が1955年に設立され,1983年にBLの一組織となる。世界中から収集された大規模なコレクションをもち,様々なジャンルの音楽や演劇・文学に関する録音物、オーラルヒストリーさらに自然の音まで網羅した体系的な組織・管理を行っている。現在,百万以上のディスク、一万7千のテープを保管し、またビデオの収集も年々増えている8)。NSAでもビデオを収集していることがわかる。従って、音響アーカイブに映像資料が入るのかどうかということは、特に悩まなくていいとわかった。
引用文献・注釈
1)Stielow, Frederick
J. The Management of Oral History Sound Archives.
New York,
Greenwood Press, 1986, 158p.(p.31)
2) Ripin, Edwin M.
"Sound archives." The New Grove Dictionary of Music &
Musicians. Vol. 17. edited by Stanley Sadie. 1980, p.563-565
3) 日本図書館協会編. 図書館用語集改定版. 東京, 日本図書館協会, 1996, 364p.
4)日本図書館学会用語辞典編集委員会編.図書館情報学用語辞典.東京,丸善,1997, 244p.
5) 日本図書館協会目録委員会編. 日本目録規則 1987年版改定版. 付録6 用語解説. 東京, 日本図書館協会, 1994,
pp.333-351.
6) Young, Heartsill
ed. The ALA Glossary of Library and Information Science. Chicago,
American Library Association. c1983.(丸山昭二郎〔ほか〕監訳.ALA図書館情報学辞典.東京,丸善,1988, 328p.)
7)斎藤健太郎."CA1345 BLのオーラルヒストリーコレクション".カレントアウェアネス.No.254, p.5(2000)
8)The British Library
National Sound Ar-chive.
[http://www.bl.uk/collections/sound-archive/overview.html]
(last access 2000. 11. )
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