International Association of Music Libraries, Archives and Documentation
Centres
Japanese Branch
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ニューズレター第19号
Sep. 2002
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1.音楽手稿を扱うにあたっての実際例
(15世紀イタリアの音楽手稿を通して)
金澤正剛(国際基督教大学教授・IAML日本支部前支部長)
1:音楽手稿との出会い
私は1958年からハーヴァード大学大学院で学んだ。最初のテーマは「ルネサンスにおける典礼と音楽」だったが,あまりにも広範囲なため最終的には「15世紀の教会音楽,聖務日課における音楽」とした。修士課程終了後,1962年に奨学金を得てイタリアへ行った。この時に「トレント手写本」として知られる音楽手写本の調査をした。「トリエント公会議」で名高いトレントは,イタリアの北の果て,アルプスが始まるところに位置する風光明媚な町である。かつての神聖ローマ帝国直属の地で,イタリアとドイツの両方の風情を有している。
7つの写本からなる「トレント手写本」はかつてはこの町のカテドラルに保存されていたが,私が訪れた時点でそのうちの6つは同じトレント市内の国立図書館に移管されていて,最後の1つのみがカテドラルに残されていた。その7番目の写本はカテドラルの責任感の強そうな神父さんの監視の下で調査したため,十分に調査し尽くすことができなかった。残りの6つの写本については,司教の居城の中にある国立図書館で1月半に渡って調査した。これに基づいて1965年に「トレント手写本のウォーターマーク」と題する最初の学会発表を行った。その後に,聖務日課のうちの晩課に限定して博士論文 (*1) を書き終え,1966年に日本に帰った。
4年後,フィレンツェのイタリア・ルネサンス研究所に研究員として1年間招かれた。その間に,親しい研究者であるイザベル・ポープ女史から「モンテカシノ手写本第871号」に関する研究の宗教音楽専門のパートナーに誘われ,それに協力することとしていたため,そのプロジェクトにその年の研究の3分の1から半分ほどを費やした。この手写本はイタリアのローマとナポリの中間に位置する,ベネディクト派の総本山モンテカシノ修道院に伝わるものである。女史はカタロニア地方の方言に詳しい言語学者で,かつ世俗音楽専門の音楽学者であり,この写本の半分をすでに研究していたが,残る半分の宗教曲はミサではなく聖務日課のレパートリーなので,私と共同で研究するのに好都合だった。 モンテカシノ修道院での研究は,まず写本の綴じ方や,ウォーターマークを写す作業から始まった。古い写本を光をすかして見て,ウォーターマークを鉛筆で正確に写し取るのは難しく,非常に困難な作業である。その上,モンテカシノの修道院には電気がないため,日没後は作業をすることができない。そこで,我々はウォーターマークを写真に撮ることにした。
これに対してアルキヴィスト(古文書室の神父さん)がどのような反応を示すか心配だったが,はからずも許容してくれただけでなく,撮影の手伝いさえしてくれた。このアルキヴィスト自身が学者で,この人のおかげで最終的に,この写本は15世紀後半にナポリ
(当時はアラゴン家の勢力下のスペイン領だった) から来た修道士がこつこつと写しためたものであるらしいことが判った。この写本の研究成果は,1978年にオックスフォードの
Clarendon Press から出版された (*2)。
2: 音楽手稿に関する予備知識
(1)羊皮紙と紙
紙が使われるようになった15世紀前半より前には,音楽手稿の材料として,主に仔羊の皮をなめして作った羊皮紙が使われていた。普通の羊皮紙の全形は横90〜100
cm.,縦 60〜70 cm. である。 15世紀に入ると,楽譜は紙に写されるようになった。紙を漉く技術は,12世紀に中国からマルコポーロによって伝えられたと言われ,この頃にはヨーロッパに定着しつつあった。
(2)羊皮紙または紙の分割
羊皮紙または紙の全形 (全紙) を均等に分割したものはフォリオ folio (1/2),クァルト
quarto (1/4),オッタヴォ ottavo (1/8),セディチェジモ sedicesimo (1/16),トゥレンタドゥエジモ
trentaduesimo (1/32),セッサンタクァトゥレジモ sessantaquattresimo (1/64)
と呼ばれる。なお,横長に折った大きさのものも使用され,たとえばペトルッチの「オドゥヘカトン・A
(Harmonice musices odhecaton A)」は横長のセディチェジモ (1/16) である。
(3)ウォーターマーク (透かし模様)
ウォーターマークとは紙の製造過程で付けられる透かし模様で,メーカーにより相違し,同じメーカーでも10年ごとくらいに変化する。普通は紙をあまり長くためておくことはないため,ウォーターマークは写本の年代を判断する目安になる。代表的なウォーターマークの位置は,横長に置いた全紙の左半分の中央より下と,右半分の中央より上の2箇所である。従って,紙を2つに切ったフォリオの場合,片側にだけウォーターマークが付いていることになる。シャルル・ブリケの著書
(*3) はヨーロッパの代表的な図書館の資料に見られるウォーターマークを集めたもので,これにより国と地域,年代を特定することができる。ただし,この著書に収録されていないウォーターマークも少なくはない。
(4)ファシクル (冊子)
分割した紙を複数枚を重ねて綴じると1つのファシクル Fascicle (冊子) になる。15世紀における音楽手稿のファシクルはフォリオかオッタヴォ(フォリオの半分であるクァルトをさらに半分にしたもの)で出来ていることが多い。フォリオなどの数が割り切れないファシクルは寄せ集めである。紙をどのように折ったり切ったりしてファシクルを作ったかは,その大きさを見るとだいたい判断できる。ファシクルの状態とウォーターマーク,筆写されている作品の内容から,そのファシクルの全体像がどんなものであるかを推定することができる。
3: トレント手写本,Mss. 87〜93
全部で7つの写本から成る。各々の写本は22から39のファシクルから成る。ウォーターマークは30種類に及ぶが,頻出するのは
A (山形) と B (牛) の2種である。同じ種類のウォーターマークでも年代によって微妙に形が変化している。
例えば,この手写本に出現する A の場合,A1 はただの山形,A2 はそれが丸の中に入り,A3 は十字架付き,A4 は花形付きというふうに年代順に変化していく
(ウォターマークA の紙の製造年代は15世紀初期から後半にかけてである)。この中で,B3 のみはイタリア製ではなく,サヴォワまたは東フランス製であり,同じ牛ではあるが顔の表情と頭の上に付いているものが相違する。
7つのうち最古の Mss. 87 は1440年前後に成立したもので,何人かが筆写に携わっている。そのうち一番古いものは黒い部分が多く,五線が赤インクで書かれ,写した人のサインがある。7つの写本をウォーターマーク,筆跡,レパートリーにより分析すると,Mss.
88〜91 および 93 は, ほぼ同じ性格を持っており,それに対して,Mss. 87と92の2つは他の5つとは違った複雑な起源をもつものと判断される。
|
(1)Mss. 88〜91 および 93 ウォーターマークは前述の A, B と C (天秤) が主であり (所々に K, L, M も現れるが),紙の種類はほぼ統一がとれている。5冊を年代順に並べると、Mss. 90/93, 88, 89, 91となる。またこれらの筆跡は,年代と共に変化はするが共通している。Mss. 90 の最後のページに「ヨハネス・ヴィーザー Johannes Wiser によって写された」と書かれていることから,この5つの写本はトレントの西,ティオーネという町の出身のヨハネス・ヴィーザーという人が30〜40年ほどかけて写したものと考えられる。 Mss. 90の前半にはミサ通常文 (デュファイ,バンショワなどの作品) が,各楽章ごとにそれぞれ集められた形で収録されている。これはまだミサ曲としてセットにするアイデアがないことを示している。ところが,この写本の末尾には,全部の楽章が揃っているわけではないが,ミサ曲のセット (作曲家はピュロア,ルージュ,オケゲムなど) が出現する。 ちなみに,Mss. 88以後においては,やはり完全ではないがセットとして書かれたミサ曲が増えていく。 Mss. 90 の後半にはシャンソンなども含まれている。Mss. 93はMss. 90 と同時期のもので,冒頭からの大部分は Mss. 90 に収録されているミサ通常文の完全なコピーである。どうしてこれをコピーしたのかについては不明である。この写本の末尾にはリートとシャンソン,および宗教的なイムヌスが入っている。 Mss.88はミサのレパートリーが主で,冒頭にはキリエのない初期のミサ曲 (作曲者不詳) があり,それにミサ通常文 (デュファイ,ダンスタブル),ミサ固有文,賛歌などが続く。この写本の後半には,オケゲムなど,これまでよりも少し後代の作曲家の作品が出現する。Mss.89 にはトゥーロンなど,これまでと違う作曲家が出てくる。比較的雑多であるが,やはり典礼用の作品が中心である。 Mss.91のファシクル1〜3 はマルティーニ,キャロン,ビュノワのミサ曲である。筆写者のヴィーザーがもっと長生きしたら,この後にジョスカンが出てくるところだったと想像される。これに続く,ファシクル4〜22 は作曲者不明の,やはり典礼用作品が主である。ドイツ語の定旋律やカノンが入った曲があるのが特徴である (2)Mss. 87と92 この2つの写本は雑多な曲の寄せ集めで,紙もいろいろである。また,ばらばらの箇所に同じ紙が使われている部分がある。Mss. 87のファシクル1〜9, 11〜12, Mss. 92のファシクル13〜20は紙が同じで内容もミサやモテットで統一されている。またMss. 87のファシクル15〜16はピュロワのミサ曲が一曲入っているだけであるが,同じくMss. 87のファシクル17, 19〜21とMss. 92のファシクル21〜22(すべて白紙)はそれと全く同じ紙を使っている。 またMss. 87のファシクル10は粗い紙質で,同じくMss.87のファシクル18もそれと同じ紙である。上記のような場合,同じ紙質の部分はもともと一続きだった可能性がある。Mss. 87のファシクル14にはデュファイ以前の作曲家が登場しており,紙から見ても最も古いもののようである。Mss. 87, 92は,Mss. 88〜91, 93の5つの写本を製本する際に,さまざまな曲を集めて積んであった楽譜をそのまま一緒に2つの写本として製本したものではないかと推測される。 全部で9つのファシクルから成る。ハサミの印,鳥,アラゴン家の王冠等々の8種類のウォーターマークがあり,15世紀後半にイタリアのいろいろな地域で製造された紙が主に使われ,一部にはスペインやシチリア製も使われていることがわかる。ファシクル1はスペイン系のレパートリーが多く,ナポリとの関係が想起される。曲は雑多で,紙もいろいろである。15世紀の後半にナポリの宮廷にいたコルナゴの作品がよく出てくる。ファシクルの形態,紙,レパートリーから判断して,ファシクル2〜4と5〜6は初めから計画的に筆写されたものである。ファシクル2〜4は晩課のためのレパートリーである詩篇とマニフィカートが整然と筆写されている。ただし,ファシクル4は途中でページが切りとられている。ファシクル5〜6はエレミア哀歌が整然と筆写されている (冊子5は外側の1枚だけしかない)。ファシクル7〜9は世俗曲の寄せ集めである。ファシクル8はフォリオの片側がどれか確認できないところがある。 以上を総合すると9つのファシクルは,そのときどきの寄せ集めの曲集であるファシクル1,7〜9と,計画的に整然と筆者したファシクル2〜6との2つに類別される。筆跡に相違があるため,イザベル・ポープ女史は当初これらの9つのファシクルは「幾人かの人が分担して写したのだろう」と考えていたが,古文書学者ジーノ・コルティ教授がほとんどの部分は同一人物が筆者しているという結論を出した。筆跡の相違は上記の2つの類別と対応していた。つまり,計画的部分はきちっと楷書風に書かれているのに対して,寄せ集めの部分は軽く草書風に書かれているのである。 |
◆ ◆ ◆
2002年6月9日(日),IAML日本支部総会の終了後,例会として支部長の金澤正剛氏
(国際基督教大教授) の講演が行われた。今回の講演は,氏が過去に研究対象とした2つの音楽手稿を通して,こうした資料へのアプローチの実際を紹介するものであった。研究を始めたいきさつや当時の体験談なども交え,また,自ら撮影されたスライドも映写され,大変楽しく,興味深いひとときを過ごすことができた。
講演の最後に,「トレント手写本」のMss.88にあるヨハネス・コルナゴのミサ曲「世界地図
Ayo visto de la mappa mundi」と,そのテノールから復元された,ミサ曲の素材となった世俗曲をCDで聴かせていただいた。このミサ曲は「私は世界の地図を見た。そうしたら,シチリア島が一番きれいだった」という歌詞をもつ世俗曲をテノールとしており,テノールの下にその歌詞が書かれているとのことである。コルナゴはナポリで活躍したスペイン人である。この時代のスペインの曲はすでに,世俗曲,宗教曲を問わず他の国とは違う共通の特徴があるという解説を興味深く聞いた。音楽手稿譜をとおして,それを取り巻く人々や周囲の問題を断片的に映し出すこのような研究は,むろん音楽研究を行う人々に独占されるものではない。どんな概念の枠組みのなかでも時代を越えて強い生命力を持つものだと思う。研究者や専門家のみならず,アマチュアやジャーナリストも含め,おそらく文化に携わる人々全体にとっての財産となるはずだ。
なお,本稿は森佳子さんと細田の記録をもとに再編集した記事を,金澤先生ご自身に校訂していただいたものである。短くまとめるために内容の前後の入れ替え等がなされていること,また細かな言葉使い等は必ずしもオリジナルの通りではないことをおことわりしておく。
(文責:森佳子,細田勉)
*1 “Polyphonic Music for Vespers in the Fifteenth Century.” (博士論文,ハーヴァード大学,1966)*2
The Musical Manuscript Montecassino 871. ed. Isabel Pope and Masakata Kanazawa.
*3 Briquet, Charles Moise. Les filigranes. Geneve : A. Jullien, 1907. 4
vols.
2.ベートーヴェンの「初期印刷楽譜目録」作成を通して見えてくる
19世紀の楽譜出版
長谷川 由美子(国立音楽大学附属図書館)
1:はじめに
私は8月8日木曜日午後にカリフォリニア州サンノゼ大学のベートーヴェン研究センターで行われた「ベートーヴェン・書誌部門」の第2番目のスピーカーとして、当館のベートーヴェン目録についての発表を行った。以下は私の報告のほぼ全文と同じ部会で報告されたレポートの概要を述べる。
2:国立音楽大学附属図書館所蔵のベートーヴェン初期印刷楽譜
国立音楽大学図書館所蔵のベートーヴェンの初期印刷楽譜目録はこの3月に英語ヴァージョンがインターネット公開された。発表は誕生したばかりの目録を広く世界の音楽図書館に知らせ、その特徴を伝えるために行った。ただし、公開された目録の序文ですでに述べたことは極力避けて、特に19世紀の楽譜が抱える問題とそこからおのずと生じる目録記述の特徴に重きを置いた。
国立音楽大学付属図書館はベートーヴェンの初期印刷楽譜を1300点ほど所蔵している。コレクションの内容は1794年から1900年にかけての出版譜が大半であるが,若干1900年以降の出版譜と難点かの筆写譜が含まれる。約107点が原版譜でその他に,原版譜の再版、後続版、そして多くの編曲楽譜を有する。
この発表で私は当時の楽譜の出版状況を非常によく表していると思われる3つの事例に焦点を当てた。第一は一つのプレートから生み出される多くの刷りの問題で、第二は一つの楽譜の中に含まれる多種類のプレートの問題、最後はプレートの改変である。
2−1:多くの刷りをもつ初版譜 作品53 ワルトシュタイン
ワルトシュタインの原版譜は多くの刷りを持っているが、以下の表は私が調査した15の例で印刷年順に並べた。この順序は表に挙げた特徴に加えプレートの亀裂の広がり具合を考慮して類推したものである。(ワルトシュタイン表参照)
楽譜の変化には次のような問題が含まれる。
|
|
機 関 |
タイトル |
透かし |
価格表示 |
繰り返し記号の |
他 |
I |
1 |
武蔵野音楽大学 |
A |
紋章とVG |
f 2.15 x |
X |
|
I |
2 |
リューベック市立図書館 |
A |
紋章とVG |
f 2.15 x |
たぶんX |
最後のページは欠 |
II |
3 |
パウル・ヒルシュ |
A |
紋章 |
f 2.15 x |
たぶんX |
|
II |
4 |
チェコ国立地域アーカイヴ |
A |
紋章 |
f 2.15 x |
X |
タイトルページにわずかな亀裂 |
II |
5 |
大英図書館 |
A |
紋章 |
f 2.15 x |
たぶんX |
|
II? |
6 |
ヤコブ・ラタイナー(個人蔵) |
A |
不明 |
f 2.15 x |
X |
ベートーヴェン・ビブリオグラフィー・データベース(BBD)のサーチより |
III |
7 |
国立音楽大学図書館 |
A |
紋章 |
f 2.15 x |
○ |
透かしはタイトルページのみ |
III? |
8 |
アメリカ議会図書館 |
A |
不明 |
f 2.15 x |
○ |
BBDより |
IV |
9 |
ホーボーケンコレクション |
B |
紋章;VG |
f 2.15 x |
○ |
|
V |
10 |
ウィーン市立図書館 |
B |
紋章 |
f2 |
○ |
価格表示の他の部分は削除 |
VI? |
11 |
サン・ノゼ大学 |
B |
紋章 |
2f. 30x |
○ |
BBDより |
VII |
12 |
国立音楽大学図書館 |
B |
なし |
[3]f[30] |
○ |
f以外の価格表示は鉛筆で記入 |
VIII |
13 |
ベートーヴェンアルヒーフ |
B |
紋章とPAM |
[4]f[40] |
○ |
f以外の価格表示は鉛筆で記入 |
IX |
14 |
ベートーヴェンアルヒーフ |
B |
紋章とPAM |
f |
○ |
f以外の価格表示は削除 |
X |
15 |
ベートーヴェンアルヒーフ |
B |
ゆり紋と C & I HONIG |
なし |
○ |
価格表示はすべて削除 |
2−1−1:忘れられた繰り返し記号
《ワルトシュタイン》の初期の刷り(チェコ国立アーカイブ蔵)には、第三小節目に繰り返しの記号が欠けているが、後の刷り(国立音楽大学図書館所蔵)で付け加えられた。この繰り返し記号は無理やり後に入れ込まれたことが明白で、少々窮屈そうに見える。
2−1−2:新しいタイトルページ
ワルトシュタインの原版譜は2種類のタイトルページをもっており、両方とも国立音楽大学が所蔵している。ドイツ語にはとても便利な言葉があって、普通、表題紙だけを新しく彫り直して出版される楽譜のことをTitelauflageといっている。ある曲を再度宣伝して売り出すのに、表題紙のデザインを一新するのが一番経済的だったため各出版社がよく使った手段である。また、合併吸収や権利譲渡によって経営者が変わった時には元の出版社を消して、新しい出版社の名前や住所が彫り直された。
しかしワルトシュタインの場合、2番目のタイトルページは、出版社の記述の付近に亀裂が生じてしまったために新たなプレートを非常に早い時期に製作せねばならなかった例である。したがって、私たちがTitelauflageという言葉から受けるイメージとは少々異なって、新たなタイトルページは出版社側の意図に反してやむを得ず行われたのではないだろうか。
2−1−3:価格表示の変化
この楽譜は価格表示が何回も変わる。最初の価格2フローリン15クロイツェルは印刷面からナイフ状のもので15クロイツェルが削り取られる。その後の変化は表の通りである。これ以外にもプレート上から価格表示が削られたり、元の価格が印刷されている上から新しい価格がペンで書き入れられた楽譜の例はたくさん見つかる。価格の変化は出版社側が一連の印刷物を新たな計画、つまり新しい価格にもとづいて販売しようとする姿勢を表しており、このような価格の変化は当時のインフレーションに由来するが、ここでは増刷と密接な関係を持っている事を指摘しておこう。
2−1−4:透かしの変化
印刷された紙は9種類が認められる。初刷の紙は美しい紋章と補助マークVGをもっている。この紋章は18世紀の後半から19世紀のごく初期にかけて使われた有名な透かしで、VGはヴェニスの製紙業者ヴァレンティーノ・ガルヴァーニ(Valentino
Galvani)のイニシアルである。
それに対して、ベートーヴェン・アルヒーフ所蔵の楽譜の透かしは、補助マークがPAMで、紋章の形は非常によく似ているが垢抜けない。明らかに、有名なイタリア産の透かしを真似て作られたものである。補助マークの
PAMは紙製造者ペーター・アウグスト・マッテス(Peter August Matthes)の略語で、彼は1806年にウィーンの南で製紙業を始めた。つまり、こちらの透かし入りの紙を使った楽譜は少なくとも1806年以降に印刷されたことになる。紙のきめは本家のイタリアのものと較べると粗く、色は黒ずんでいる。
紙製造業者のイニシアルを伴った透かしは楽譜の年代推定に重要な役目を果たすが、これ以外にも多くの例が見うけられる。
透かしは第一楽章第3小節目の繰り返し記号がいつ加えられたのかという問題にも回答を与えてくれる。最初の刷り(武蔵野音大所蔵)には繰り返し記号がなく、透かしは紋章とVGである。次の刷り(チェコ国立アーカイヴ所蔵)でも繰り返し記号は欠けたままであるが、透かしは紋章のみで、補助マークはついていない。3番目の刷り(当館所蔵)になってはじめて繰り返し記号が現れる。透かしは前のチェコ国立アーカイヴと同じであるが、当館所蔵分の楽譜の透かしはタイトルページにしかついていない。この事実から繰り返し記号は少なくとも第3刷り以降と思われる。
価格表示の変化と紙の変化の関係だが、多くの場合、価格表示の変化は透かしの変化に対応している。ただし、インフレーションが収まった後のウィーンやその影響を比較的受けなかったプロイセンの各地ではこのように価格が頻繁に変わることはあまり見られず、紙だけが変わっていった。
3:プレートの混在―三つの三重奏曲作品1
新旧2種類のプレートが混在する楽譜はかなり多い。しかし1795年にウィーンのアルタリア社から初版が出た《三つの三重奏曲》作品1のカッピ社による再版(当館所蔵の楽譜)にはなんと元のプレートも含めて7種類のプレートが混在している。ピアノ・パートには元のプレートがまだ使われているが、ヴァイオリンとチェロ・パートのプレートはすべてその後に彫版されたものばかりである。大幅に亀裂の入ったところだけをその都度新しくした結果、何度にもわたってプレートを彫版せねばならなかったと思われる。普通、再版の年代が判明することはめったにないが、この楽譜の場合幸運にも、透かしの製造業者が1812年から操業を始めたという事実から印刷年は1812年以降だと推定できた。
他の出版社にも同じようなケースが見られるが、なんといっても筆頭は19世紀初頭のウィーンの各社とペータース社で、枚挙にいとまがないほどの例がある。ペータース社は大出版社だったが、出版活動を始めた頃、ライプツツィヒはナポレオンに対する「諸国民の戦い」の後遺症で政治的にも経済的にも困難だった上に、経営者自身の病というダブルパンチをくらって順調ではなかった。
また、ウィーンの各社は同じくナポレオン戦争の後遺症に苦しんだ上にドイツ各地に比べて群小出版社がひしめいていて、経営基盤がしっかりするのは1820年代に入ってからである。したがってたとえばウィーンでは、1820年代後半から台頭してくるハスリンガー社の楽譜やプロイセンの大きな出版社ブライトコップフ・ウント・ヘルテル、ショット、それにアンドレが出版した楽譜には私が調査した限りこの例はなかった。プレートの混在という現象は当時の社会とそれに左右される出版社の経済基盤の弱さを如実に反映しているのだろう。
4:プレートの修正 ハスリンガー社の全集からピアノソナタ集
彫版印刷の長所の一つは、活字を組み直す必要がなかったために修正が比較的容易にできることにある。その一つが先に述べたワルトシュタインにおける繰り返し記号の追加だが、その他、いくつかの例はあるものの、一般にあまり頻繁に行われた形跡はない。反対に社名や値段といった出版社側の利益を優先する変更は積極的に行われた。ただし、ここで私はプレートの修正が大規模に、かつ編集者の意図を伴って、単なる間違いの修正でなく行われた例をあげたい。それはハスリンガー社の全集中のピアノ・ソナタ集である。この全集を当館は152点所蔵しており、そのうち96点が第一グループであるピアノ・ソナタ30曲である。一曲について2点から4点ほどが重複している。
全集全体は最初茶色い表紙で出版され、何年か後に今度は表紙のデザインは変えずに色を赤に変えて再版された。ところが、この全集中のピアノ・ソナタのグループだけは赤い表紙に変わったときに様々な直しが行われた。メトロノームの数値が以前のものより遅くなり、表情記号がたくさん付け加わり、音そのものが変わっている例もある。前の彫りが印刷上にうっすら残っているし、新しく付け加えられた記号その他は以前からのものと比べてインクの色が鮮明なため、すぐに見分けがつく。これらの修正はWoO47を除くすべてのソナタに見られて、訂正個所はさまざまである。この大規模な修正が「楽譜の校訂」という観点から行われたことはすべての修正を見渡してみると明らかである。
ハスリンガーの全集については、それが再版だったのか、修正されていたのか、それとも通常とは違う茶色い表紙を持ちながら修正をされていたのかは編集者である私のコメントとして目録に記入してある。
5:結論
第一番目は刷りの問題で、一つのプレートからいったい何回ぐらい楽譜が生み出されるかはタイトルページのデザインや出版者の変化、つまりTitelauflageにはとどまらない。第二番目はプレートの異同で、三番目はプレートの訂正である。コレクションには一見すると同じに思えるコピーがいくつもあるが、私は本当に同じなのか、どこか違いはないのだろうか、いつもそう思って資料に向かった。
楽譜は実にたくさんの嘘をつく。けれど自分のついた嘘の痕跡をあちらこちらに残していて、目録を取る人間がどれだけ注意深い眼で自分たちを捕まえようとしているのかを楽しんでいるようである。「楽譜はこれでもかこれでもかと嘘をつく」というのが私はこの仕事にかかわっていた何年間かにもった正直な感想である。私はその痕跡を丁寧に拾った目録を作り、19世紀の音楽出版に興味のある人々にとって基礎的なデータを提供したいと願った。現在、日本語ヴァージョンを作成中で、私が注記や編集者のコメントとして記述した内容は日本語で読めるようになる。たぶんこの原稿が日の目を見るころにはもう出来上がっているだろう。
最後に日本国内にある他機関が持っているベートーヴェンの初期楽譜の大規模コレクションに触れておこう。武蔵野音楽大学図書館は140点ほどの、ほとんど初版と思われるコレクションを所蔵している。これは既にドイツ語による目録が1962年と1969年に出版されている。上野学園大学図書館のコレクションは、96点でそのうち生前出版の35点については目録が作られた。当館、武蔵野音楽大学、そして上野学園大学のコレクションをあわせると、ベートーヴェンの原版譜はほとんど網羅できる。いつの日にか、これらの資料目録が広く公開され、利用もできるようになることを切に願っている。
6:他の報告
「知られざるベートーヴェンの発見―ベートーヴェン・ビブリオグラフィー・データ・ベースの構築」
パトリシア・ストロー(サンノゼ大学ベートーヴェンセンター)
サンノゼ大学のベートーヴェン・ビブリオグラフィー・データ・ベースはオンラインによるデータベースでベートーヴェンのあらゆる側面を網羅しようという趣旨で作られている。楽譜部門はセンターが所蔵している初期楽譜に加え、アメリカ各地から提供されたベートーヴェン初期楽譜のデータも検索できる。さらに書籍、雑誌記事等、ベートーヴェン研究には欠かせないデータ作りを行っているが、地域の大学生以下の子供たちへのサーヴィスにも目が向けられている。当時の楽器を使ったコンサートや楽譜の版の説明、また、子供たちからのさまざまな質問にも答えるという説明にアメリカらしさを感じた。
「新しいベートーヴェン作品目録の改訂版について」はヘンレ社のゲルチュ氏からの報告であった。ベートーヴェン作品目録の歴史から始まり、1954年のキンスキー・ハルム目録に至ったこと、1978年にはドルフミュラー氏によるバイトレーゲが刊行されたものの、30年弱の年月が流れていている間に、以下のような新しい資料が次々と出版されたこと(新全集の出版、ニュー・グローヴの刊行、アンダーソン氏、ブランデンブルク氏によるベートーヴェン手紙全集の刊行、スケッチ研究の進展、ホーボーケン・コレクション目録の刊行(オーストリー国立図書館)、サンノゼ大学と国立音楽大学のベートーヴェン所蔵目録の刊行等)、これらを踏まえた新目録の必要性が述べられた。目録は2巻に分けて出版される。第一巻「作品番号付」は2004年に、第2巻「その他」は2006年の予定である。また、それに先駆けて、2003年にはオンラインで公開される。
2,3年前にヘンレ社の社長が来日した際、私の仕事場で何分か歓談したが、まだ原稿にもなっていないデータの形の目録をお目にかけたところ、大変驚かれてオンラインで利用できないかと問われたことがある。公開のめどが立っていない時期だったので、残念ながら・・・と申し上げたが、自分の作った目録をより大きな出版物を作る時の参考にしてもらえるのは図書館員として無上の喜びである。
3.多言語処理を可能とした図書館システム:
LS/1図書館システムについて
伊藤 真理(愛知淑徳大学文学部図書館情報学科)
1:はじめに
このたび,2002年IAML バークレー会議の音楽教育機関図書館部会(Libraries in Music Teaching Institutions Branch(LMTI)のセッションで,多言語処理を可能とした図書館システムの事例として国立音楽大学附属図書館のLS/1図書館システムについて発表する機会を得た。同部会は比較的小規模な,いわゆる音楽院を中心とした機関を対象としており,日本の音楽大学のような事情には適している。
バークレー会議では,同部会は下記の2つのセッションを開催した。
第1セッション(8月5日):アメリカの音楽教育機関の図書館について
Jane Gottlieb (The Juilliard School, New York, NY)
Deborah Campana (Conservatory of Music Library, Oberlin College, Oberlin,
OH)
Dan Zager (Sibley Music Library, Eastman School of Music, Rochester,
NY)
Kevin McLaughlin (California Institute of the Arts,
第2セッション(8月7日)
Mari Itoh. “Multilingual online catalogue system: LS/1 Library System”
Jay Weitz. “Music and OCLC: Past, Present, Future”
Federica Riva. “Report on Networking and access to music collections;
updating the 1998 international survey on web catalogues”; Election for
the next term, etc.
第1セッションは今回の開催国であるアメリカの代表的な音楽院を含む4館の紹介であった。第2セッションはネットワークをキーワードとして,著者の発表,OCLCの音楽図書館および音楽情報関連サービスについての発表と,LMTI部会が行っている国際的なウェブOPAC調査と来期役員の選挙が行われた[i]。以下,日付を追って報告を行い,最後に著者の発表について日本語要旨を載せる。
2:第1セッション(8月5日)
第1セッションは,Theaterとよばれる大きなホールで行われた。開催国の紹介ということから4つの音楽院が選ばれ,各機関についての簡単な歴史が報告された。アメリカでは大規模大学の学部としてのMusic Schoolと,上記機関のような音楽院として設立されたものとがある。その中でもEastmanのようにロチェスター大学の傘下に入っているケースも見られるが,後者は規模や演奏系を主体とするなどの点から日本の音楽大学と類似している。
全体に共通して,各機関の沿革,規模,音楽図書館の特徴が発表され,それらと参考文献を載せたレズメが配布された。ジュリアードについては述べるまでもないだろう。オバーリンについては,発表者のCampana女史が以前ノースウェスタン大学に在職していたことから,大規模大学と比較して小規模機関の音楽図書館員の負担の大きさについて述べられたのが印象的であった。特にコンピュータ関連の業務については,非常に負担が大きいことが報告された。フロアからもこの問題について質問がなされ,Campana女史とともにジュリアードのGottlib女史が質問を受けた。ジュリアードもコンピュータ化が行われたのはつい最近のことであり,理系学部を有する大規模大学と比べて単独の音楽院では導入が遅れる傾向にあるとのことであった。残念なことに我々の事情と非常に通じる問題である。
Zager氏はイーストマンのシブリー音楽図書館を3つの時期,初期Barbara Duncan era, 第2期Ruth Watanabe era,第3期Mary Wallace Davidson eraに分けて,沿革を紹介した[ii]。初期のDuncan eraは創設期であり,特に古書の収集の時代であったと特徴づけている。続く第2期は同時代出版物の収集の時代であったが,稀覯本などの収集も行われ,現在Ruth Watanabe特別コレクションとして提供されている。これらの時代にシブリー音楽図書館の蔵書は飛躍的に増大した。第3期では蔵書の増大に合わせて新しい図書館が建設されている。Zager氏は,こうしたコレクションがいかに多彩で充実したものであるかについて,同氏が担当しているエディション研究の授業での多様な譜例の提示という形で証明されていると紹介した。
4番目の芸術院はディズニーが創立したまだ新しい機関である。某(?)俳優トム・クルーズが極秘で秘書を通じてある映画のビデオについての質問を寄せたなど,カリフォルニア,ディズニーならではのエピソードが紹介された。
3:第2セッション(8月7日)
日を改めて開かれた第2セッションでは,委員長のRiva女史から同部会の活動に関する報告と発表2件が行われた。56名収容の会議室はほぼ満員であった。
Riva女史はLMTI部会が継続的に行っているネットワーク利用およびウェブOPACについての調査の成果について報告した。この調査は今後も継続して行う予定であり,データ数の増加とその結果を参考にした図書館協力の材料とするために,調査への協力の依頼がなされた。発表は,最初に著者,Weitz氏という順番であったが,紙面の都合上Weitz氏の発表から報告する。
Jay Weitz氏はOCLCに20年以上も勤められ,OCLC代表として米国音楽図書館協会(MLA)やアメリカ図書館協会(ALA),さらにUNIMARCに関してなど,目録業務について音楽図書館および図書館界と深い関わりを持っておられる。また,1996年の国立音楽大学における日米図書館会議や翌年のMLAJワークショップなどで日本でもおなじみの方も多いことと思われる。
音楽情報の組織化ということから,最初に音楽資料用MARCフォーマットの開発についての歴史が述べられた。音楽フォーマットの開発ではMLAが重要な役割を果たし,OCLCMARCへの導入時にも深く関わっていた。その後の継続的な発展においては,Music OCLC Users Group(MOUG)が活発な活動を行っていることが発表された。また,典拠レコードの充実を目指したNACOプロジェクト[iii]など,目録データの整備と品質の保証についてのOCLCの協力について説明された。最後にOCLCが提供している(発表者自身も把握しきれないほどの)様々なサービスについて簡単な説明があった。OCLCと音楽図書館との関わりの歴史を知ることのできた興味深い発表であった。この歴史はすなわち,音楽情報の組織化の歴史を知ることであったからである。聴衆からの質問として,南米ではOCLCのサービスはどのようにしたら受けられるのかというものがあった。書誌ユーティリティでは世界規模No.1のOCLCといえどもまだまだ知られていない地域があるのだと実感した。また,音楽情報の目録について最新情報についてどのようにして知ることができるのかという質問に対しては,MOUGのメンバーとなるのが一番良い方法であろうというアドヴァイスがあった。MOUGはMLA年次大会開催時には必ず併設してワークショップを行っており,著者も何度か出席したことがある。そこではOCLCからの最新情報の報告や音楽資料の目録について様々な発表が行われているので,最新情報の収集や他機関が抱えている問題点を把握したり,自館の問題を相談したりするには最適の場であると思われる。
4:多言語処理を可能とする図書館システム
最後に著者の発表について述べる[iv]。
発表は,1)LS/1図書館システムの開発の背景の説明,2)音楽図書館協議会(MLAJ)
の音楽情報の組織化に関わる活動,3)音楽情報検索に必要とされる機能について,LS/1目録システムとOPACシステムの機能から説明,4)今後の課題について,という構成であった。
1)背景
はじめに,なぜLS/1図書館システムが必要とされたのかについて説明を行った。欧米と比較して図書中心である日本の目録の特殊性,様々なMARCフォーマットが存在していること,それらのほとんどには音楽資料用のMARCフォーマットが存在しないことなど,複雑な状況を簡潔に説明した。また適切な典拠レコードの管理および多言語を処理することのできる図書館システムが,その当時では存在しなかったことを指摘した。
2)MLAJの活動
次にMLAJの音楽情報の目録に関する活動について説明した。設立当初から「資源共有」と「図書館間協力」を目標として掲げ,音楽雑誌総合目録や全集叢書所在目録の作成,日本語版の分類表目標の作成,各種MARCの検討など活発な活動を行ってきた。先に述べた複雑な日本の図書館の情報提供環境を背景として,MLAJの目録整備に力点を置いた活動から,LS/1図書館システムの開発が提案されたことは,自然な流れともいえる。
1993年にMLAJの総意を得て,新規図書館システムの共同開発が行われることとなり,1994年から紀伊國屋書店と国立音楽大学を中心として開発が着手された。
3)LS/1図書館システムの機能
まず,英語版WebOPACが近々完成する予定であることを宣伝した後,新規図書館システムに必要とされる機能を,以下の4点に要約した。
@ 情報資源の媒体や言語にとらわれない検索
LS/1MARCがあらゆる媒体を対象としていること
オリジナル言語および日本語による書誌データの作成と,典拠レコードに基づく標目のオリジナル言語と日本語言語からの検索の保証
A 音楽資料に特有の版やエディションを考慮した検索の適合性
書誌レコードとリンクした典拠レコード,および典拠レコードの自動リンク機能による書誌レコードの品質の保証と再現率の高い検索
B 特定の作品を検索する際の検索精度の向上
人名と統一タイトルの組み合わせ,人名と作品番号の組み合わせによる検索
C 音楽資料に特徴的な検索のアクセス・ポイントの保証
典拠レコードの参照情報に含まれる国コード,作品番号情報,楽器名コードと旋律データの検索での利用(これらは米国議会図書館典拠レコードでは作成されていない)
4)今後の課題
最後に,LS/1図書館システムの検討課題およびMLAJの活動について,発表者の意見をまとめた。LS/1システムは,ウィンドウズ版とウェブ版OPACを提供している。両者はインターフェイスの面でかなり相違があり,検索機能の面においても統一が望ましいことを指摘した。また,国立音楽大学附属図書館では,システム関連会社との提携によるスタッフとともに日本人作曲家作品の典拠レコード作成が行われている。音楽目録の整備を進める上で,さらに大規模なデータ作成が必要である。日本近代音楽館がLS/1図書館システムの導入を決定しており,今後のデータ充実が見込まれるが,MLAJ全体の問題として取り組むべきであろう。そのためにも音楽図書館員の目録技術向上のためのワークショップの充実が必須である。さらに電子情報源をも視野においた今後の活動が期待される。
本発表に対する質問のひとつに,楽器名からの検索に関するものとして,利用者に対して楽器名のリスト表示が行われているのかどうかが質問された。機能として備わっているため,特徴のひとつとして発表で例示をあげたが,実際にはまだ事務用のみとなっており,利用者向けに開発がされていない。しかし,楽器名からのアクセスは,他のセッションでも音楽の検索では欠くことのできないアクセス・ポイントのひとつであることが認識されており[v],近く検索インターフェイスの開発などが必要になってくる事項だと思われる。
セッション終了後,幾人もの方からとてもよいシステムだというコメントをいただいた。発表者がもっとも強調したかったLS/1システムの特徴である、音楽資料を意識した検索機能と,日本語による検索の保証というポイントを,聴衆はよく理解してくださったようだ。「こんなシステムが使えて,日本人は幸せだね」といってくださった方もいた。英語版が完成すれば,IAMLメンバーをはじめとして,また広く知っていただけるチャンスだと期待している。
今回の発表は,日本の音楽図書館の音楽情報提供サービスの活動を国際的に認識していただけたよい機会であった。MLAJ加盟館,また国立音楽大学附属図書館の館員の方々が,このような地味で根気を要する仕事を継続して行っておられることは非常に意義深いことである。こうした活動が今後も規模を拡大してさらに発展していくことを願っている。
[i] Libraries in Music Teaching Institutions Branchについては,URL<http://www.cilea.it/music/iaml/Mtil/>を参照。1998年からの本部会のセッションの抄録およびウェブ調査について知ることができる。
[ii] Duncan, Watanabeはともにアメリカ音楽図書館史においても重要な人物である。Davidsonは現在インディアナ州立大学音楽図書館長を務め,Variations2プロジェクトのメンバーである。このプロジェクトについては他部会で発表があった。
[iii] NACOプロジェクトについては,右記の文献を参照。パパキアン,ラルフ,伊藤 陽子訳.“NACO−音楽プロジェクト(NMP)現在までの歩み” MLAJ newsletter.vol. 14, no. 3, 1992, p. 9-17.
[iv] 当日は,パワーポイントによる発表を行ったが,スライドでは見づらい事例および典拠レコードの構造に関して資料を配布した。
[v] UNIMARC検討ワーキング・グループのセッションで,UNIMARCへの提案事項のひとつとして楽器名リストの作成について検討が行われていた。例えば,IRCAMのウェブOPACが詳細な楽器名,編成による検索機能を持っている。
URL available from: http://mediatheque.ircam.fr/catalogue/index-e.html
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