International Association of Music Libraries, Archives and
Documentation Centres
Japanese Branch
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ニューズレター第22号IAML2003タリン会議特集
Dec. 2003
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IAML日本支部活動報告(荒川恒子) |
RILM部会記録(関根敏子) |
IAML2003タリン会議抄録(藤堂雍子) |
コンサート記録(関根敏子) |
荒川 恒子(IAML日本支部長)
1980
年のケンブリッジ大会参加以後、幽霊会員のような存在であった筆者が、エストニアのタリンで開催された本年の大会に出席したのは、まさに職務に対する責任感の故であった。支部長の役割、本部と支部との関係等、就任後一年以上経っても判然としないことばかりなのである。しかし大会に先立つ準備段階で、日本支部にも様々な問い合わせ事項があり、多少なりとも本部と支部の結びつきを感じた。特にアウトリーチ活動に対する質問には、事務局を通してアジアへの資料提供と交換および支援、国際会議参加のための派遣協力、アジアの図書館の調査等、この数年に渡る活動を5項目に分類して報告した。
さて久しぶりの参加で戸惑いの多い筆者は、本部での活動実績の多い藤堂雍子氏に大いに助けられた。彼女は主要な方々に私を紹介してくださり、色々の活動の経過と現状について教えてくださった。さっそくアウトリーチ担当の
R. ヘレンさんより日本支部の報告に対する感謝の言葉、また『Fontes』の編集に携わる方からは、日本からの文献紹介を評価する旨が伝えられた。また RILM
事務局長の関根敏子さんからは、役目を帯びて参加した最初の時の気負った気持ち、その後の仲間づくりの工夫等について教えていただいた。
会員の方には大会プログラムが配布されているので、会議やセッションの内容はお察しのことであろう。しかし学習は文字や机の前からのみ得られるものではない。大会では総会や報告、研究発表の他にも沢山のプログラムが用意されている。開会、閉会の食事会と音楽会の後の国立図書館におけるレセプション等、いずれも素晴らしい内容で、土地の食文化に触れつつ友好を暖める良い機会である。開催中にはこれも恒例となっている演奏会が
2 回あり、エストニアとこの国の音楽活動を知る好機となった。さらに参加者には、分厚い解説のついた民俗(族)音楽の CD 3
枚組が無料で配布された。図書館案内も計画され、私は楽器博物館を見学した。専門分野の所員がいない中で、14 世紀の J.
ダンスタブルの筆写譜を管理し、ソ連時代の政策をくぐりぬけて、現存に至った J.
ハイドンの小品の断片をいつくしむ姿に接することができ、感動であった。その他水曜日の午後の遠足では、タリン市内と近郊巡りに参加した。バルト三国は合唱の国である。エストニアでは
1869年から民族覚醒運動の一環として歌の祭典が 5 年ごとに行なわれてきた。1988 年には後に「歌の革命」と呼ばれることになる集会が開催され、1991
年のソ連邦からの独立へと続くのだが、その時に民衆が集まった野外ホールに立ったのも貴重な体験であった。また大会後にも一泊旅行が企画され、私は隣国ラトヴィアの首都リーガへと向かい、当地でも図書館を見学した。年配の図書館員が英、仏、独語を混ぜこぜにしながら、ソ連時代の様子、特にロシア語での楽譜カタログ作成の命令に屈せず、自国語を守り通したことなどの説明を受けた。
さてエストニアといえば A.
ペルトの名を挙げるのが精一杯の筆者が、作曲家 C. Kreek(クレーク)と民謡の関わりや指揮者 N.
J較vi(イエルヴィ)の活動等を知ったのも本大会においてである。エストニアのクラシック音楽が、ほとんど外国に流布していない実情や事情を知り、また会場の随所に置かれたパンフレット等に、普通入手が難しいものが多く並べられているのを見て、このような機会に日本からも何か持っていけば良かったと感じた。
筆者自身の専門と関わっては、火曜日の午前中になされた冨田庸氏(ベルファスト大学)のホーム・ページの紹介が印象的であった。御自身の研究課題であるバッハに関する文献とそれのネット上の構築に関しての案内である。自分の努力を惜しげもなく、研究仲間である我々に提供しようとする氏の寛容な態度に、頭が下がる想いであった。大学のサイト
http://www.music.qub.ac.uk/tomita/bachbib/、日本語では http://j.s.bach.gr.jp/tomita/
から音楽学者や図書館員はもとより、誰でもきっと多くのことを学び、また発見できることであろう。金曜日になされたベルリン国立図書館の J.
ヤェネッケ氏の発表から、ベルリン・ジングアカデミーの伝統、その所有であった楽譜やドキュメントで、第二次世界大戦の疎開の最中に紛失してしまったものがキエフで見つかった事情、その後の交渉でベルリンに戻され、国立図書館とジングアカデミーの話合いの結果、同図書館に保管されたこと、しかしその後ジンクアカデミー上層部の意見の不一致で、今日使用できない状況である等がわかった。
筆者には日本支部の活動報告をすることが義務付けられていた。以下がその内容である。支部のニューズレターに掲載されたことの紹介である。報告後すぐになされた質問は、若い図書館員の大会参加への援助の件である。なぜこの素晴らしい試みを利用する者が今年はいなかったのか、ということである。事実この大会に音楽学者の参加が多いのはアメリカ、イギリスそして日本であり、他の国からの参加者は様々な立場の図書館やアーカイヴに勤務している者が大部分である。日本支部の今までの活動には、教育機関に勤める者やリサーチを目的とする者のためが多いように感じられるが、公共のサーヴィスやその他の業務内容に対する関心も高めていく必要はなかろうか、考えさせられる点であった。また支部活動とその報告が本部にとって重要であることが強調された。今後会員と共に、日本支部の活動のあり方を模索していくべきことを痛感させられた体験であった。
IAML(国際音楽資料情報協会)日本支部活動報告
日本支部の 2002 年度の個人メンバーは 64 名、団体会員は
22、計 86 です。昨年度と比較して、個人会員が 1 名増加しています。 IAML
日本支部の平常の活動は以下の通りです。
1) 総会 年一度で 6 月に開催(2003 年 6 月 6日)
2) 例会 年 3
回開催
・ 2002 年 11
月 音楽図書館のレファレンスを取り巻く情報環境について
・ 2003
年 3
月 小泉文夫資料記念室 ―開室から今日にいたる資料整理の経過と問題―
日本を代表する民族音楽学者、小泉文夫氏(1927ミ83)の遺産を基とした同コレクションには約 3,600 の日本語の図書、1,800
の外国語の図書、内外の雑誌約 500 種、楽譜約 670 冊、楽器約 700 点、録音テープ 2,300 点、レコード 3,377 点、スライド 13,000
点等が含まれます。詳細に関してはホーム・ページ(英語版あり)を参照してください。
http://www.geidai.ac.jp/labs/koizumi/index.html
お問い合わせは
fumioma@ms.geidai.ac.jp まで
・
2003 年 6 月 江戸時代の日本で歌われたオランダ歌曲
3) ニューズレター発行 年 3
回発行
2002 年 9 月に No. 19、 12 月に No. 20 を発行。2003 年 7 月末に No.
21発行準備中。例会報告や最新情報を掲載し、内容の充実を図っています。
4)
本年ホーム・ページのために独自のドメインを獲得。http://www.iaml.jp
速やかな更新を心がけ、ニューズレターの内容も迅速にお知らせします。
5)
日本支部は日本の若手音楽図書館員が本部の大会に参加することを、経済的に援助するために、4
年前から寄付をつのっています。今年は残念ながら援助の申し出がありませんでした。
6)
支部の活発な活動を促すばかりでなく、本部の活動に協力するために一層の体制作りに努めたいと考えています。アウトリーチに関わっての委員として、松下鈞氏に委嘱しました。援助を希望される支部や会員は事務局までお知らせください。
日本の音楽図書館や音楽情報に関わるニューズについて
1)音楽図書館協議会は、30
周年記念事業のひとつとして、2002 年 7 月 25 日に『日本の音楽コレクション』を発行しました。全国 64 機関に所蔵される 202
の特別コレクションが収載されています。所蔵機関の概要も掲載されていますが、日本語の記載のみです。
2)
国際クーラウ協会(東京)がクーラウの音楽の研究と普及、全集刊行をめざして活発な活動を行っています。クーラウのオペラ《Die
R隔berberg》(1813ミ14)のピアノ・スコアを刊行しました。
3)ニューグローヴ世界音楽事典の日本語版がオンラインで公開されました。
以上の多くは日本語のみで記述されています。海外からの質問や御要望には事務局が迅速に対処いたします。長谷川由美子事務局長へ直接どうぞ。yumiko@lib.kunitachi.ac.jp
■ Annual National Report from the Japanese
Branch of IAML (IAML 2003 Tallinn)
Report on the period July 2002 to June
2003
The Japanese Branch now has 64 individual
members and 22 institutional members, namely one more individual member than
last year.
The routine annual activities of the branch include one Annual
General Meeting, three Regular Research Meetings, and the publication of three
issues of the Branch Newsletter.
1)
The Annual General Meeting was
held at Tokyo Bunka Kaikan on
2) Regular
Research Meetings
・ The
Information Environment and Reference Services in Music Libraries (November
2002)
・ The Koizumi Fumio Memorial
Archives: Problems Encountered in the Process of Organizing Research Materials
(March 2003) The collection of
the Archives centers on the legacy of the late Prof. Koizumi Fumio (1927ミ83),
who was one of Japanユs leading ethnomusicologists. It includes about 3,600
Japanese books, 1,800 books in foreign languages, about 500 magazines, 670
examples of music notation, 700 music instru-ments, 2,300 recorded tapes, 3,377
records, and 13,000 slides. A detailed guide to the Archives can be found on its
homepage:
http://www.geidai.ac.jp/labs/koizumi/index.html (both Japanese
and English). Any questions should be directed to:
fumioma@ms.geidai.ac.jp.
・ Dutch Songs Sung in
Japan During the Edo Period (June 2003)
3) Publication of the Branch
Newsletter
No. 19 was published in September 2002,
and No. 20 in December 2002; No. 21 is in preparation as of July 2003. The
Newsletter carries edited versions of papers given at research meetings, and
news of important developments in our field.
4)
Homepage
The Japanese Branch has obtained its
own domain. The new homepage address is: http://www.iaml.jp. This new page will
be made public at the end of July 2003 and will be renewed speedily to provide
up-to-date information.
5) Since four years ago, the Japanese
Branch has been collecting contributions to give young librarians a chance to
participate in the annual international conference. Unfortunately nobody took
advantage of this program this year.
6) The Japanese Branch
makes efforts not only to be active in Japan but also to cooperate with other
national branches and IAML as a whole. For this purpose, Mr. Matsushita Hitoshi
(Member-at-large) has been put in charge of our outreach service. Any branch or
person requiring help should contact our secretary, Ms. Hasegawa
Yumiko.
New developments related to music libraries and
other musical activities
1) The Music Library Association of
Japan published a detailed survey of music collections in Japan on July 25th,
2002, in commemoration of the 30th anniversary of its founding. It contains
details on 202 collections from 64 institutions. The only edition available is
in Japanese.
2) The International Kuhlau Society, Tokyo, is
taking an active part in the study and propagation of Kuhlauユs music. It also
plans to publish his collected works. The piano score of his opera Die R隔berberg
(1813ミ14) has already been published.
3) The Japanese version of the
New Grove Dictionary of Music is being put on-line.
Most of the above
information is only available in Japanese. Questions and requests from abroad
should be addressed to our secretary, Ms. Hasegawa Yumiko. Please contact her
at: yumiko@lib.kunitachi.ac.jp.
Arakawa Tsuneko
(President)
藤堂 雍子(桐朋学園大学図書館、音楽教育機関図書館部会副座長)
7 月 6 日(日)
10
時、カウンシルミーティングがメインの宿泊場所でもあるホテル・オリンピア(モスクワオリンピック用に建設、23 階の居室から徒歩 20
分の旧市街とその向こう側の海が一望)の会議施設で始まり、成田から同行の井上公子氏も誘い出席。お知らせすべきことのみ列挙しよう。
1)会計報告の中で来年オスロ大会での会費見直しの予告。
2)オスロ大会は改選の年、会長・副会長選挙候補は以下の通りノミネート。会長候補は、IAML
Web マスターとしてお馴染みのミラノの M. ジャンティル=テデッキで対立候補者なし、副会長 4 名に対し、J. カッサロ(米)、A. ホール(加)、D.
アウスファッテル(仏)、R. ヘレン(英)、F. リヴァ(伊)の 5
名。投票用紙は略歴と共に全会員に来年の大会前に郵送され、大会中に開票発表の運びとなる。
3)1985 年以来 18 年間事務長を務めた A.
ホールが本会議で任期満了。東京会議の 3 年前からだから多分最長記録。盛んな感謝の拍手で労う。 R.
フリューリ(ニュージーランド)に引き継がれる。
4)Fontesへの寄稿募集、索引編集者、翻訳者の求人。
5)ホームページ(新URLは
http://www.iaml.info/)、電子ニューズレターは、今後 M. フィンガーフット(仏 IRCAM)、J.
カッサロ(米)らが参入し会長候補のマッシモや、A.
ホールの後を引き継ぐことになった。電子情報推進を交代持続していくことについて「慎重さ」が必要なことも確認。
6)イリノイ大学図書館、MLA
の有力メンバーであった L. トラウトマン、ベルギー RILM の Y. ルノワが鬼籍に入り哀悼の辞。
7)IFLA
における著作権問題は進展なし。
8)公共図書館に関するアンケート調査のホームページ www.pulman.org
新設。
9)途上国支援(outreach)報告は、カナダ、フランス、ハンガリー、日本、リトアニア、ラトヴィア、ポーランド、スウェーデン、英国・アイルランド、米国支部から報告あり。資料や財政援助、交流の報告は、100
kg
の書籍、数千ドルの支援等、しかし個人レヴェルの支援も少なくない。日本の久々のアウトリーチ報告(上海音楽院への長谷川事務長のアプローチ、松下鈞アウトリーチ担当委員就任)も手応えあるものとして歓迎された。要は自発性をもって途上国とのリレーションを物心両面で支え合うこと。
10)各国支部報告は、オーストリアとスイスで支部再結成、エストニアは会議準備以外何も出来なかった、と共感を誘う報告、IFLA2004
はローマで開催とイタリア支部から、英国支部は支部 50
周年記念論文集刊行、など。このカウンシルは木曜日に引き続き行われた。夕方からのオープニング・セレモニーは旧市街にあるハンザ同盟時代の館で行われた。この館の正面扉の色彩豊かな装飾、荷物を上階まで引き上げる備付けクレーン、いくつもの大広間など、見事な造作は、当時のタリンの繁栄を偲ばせ、古楽の演奏も似つかわしいものであった。
7月7 日(月)
バルト三国初めての会議とあって、活動案内の入門セッションがあった。その中で今年 2 月に、フィレンツェ大学主催で開催された『著者典拠ファイル:再考と経験』と題した国際会議の報告があった。音楽資料に関するペーパーも会議サイトで入手できる(http://www.unifi.it/universita/biblioteche/ac/en/targets.htm)。アーカイヴとドキュメンテーションセンター部会による『デジタル時代のアーカイブ』のセッションは、昨年新設の当該部会ワーキング・グループ Inter-national Register of Music Archives 座長が IRMA の進捗報告、オランダのデジタル資料保存の協同体 ERPANET、ハーバード大学ロエブ音楽図書館におけるアーカイヴ資料の記録コード化について(http://www.findingaids.harvard.edu/mus.html)発表があった。午後を通じて全員参集を建前とする『エストニア伝統音楽:コレクションと研究』をテーマとしたプレナリー・セッションは、エストニア民族の音楽文化遺産の記録とその歴史が紐解かれた。エストニア語はフィノ・ウゴル語族に属していてフィンランド語に近く、他の北欧民族とは異なる独自の音楽文化を有している。「エストニア近代社会における伝統音楽」「伝統音楽の収集と保存の世紀」「C. クリーク1の作品のソースとなった民俗賛歌」「V. トルミス2の合唱作品中のバルト=フィニック伝統音楽の総体とその派生流用」「H. タンペレ3らによって編纂されたエストニア伝統音楽録音集成紹介」と題されたセッションが準備され、最後に男声の重唱グループがいくつかの仕事歌や民謡を披露した。また詳細な解説(英文併記)ブックレット付き録音集成の CD は、後日会議登録者に配布された4。デンマーク、ドイツ、ロシアによって絶えることなく侵略統治されてきた民俗のアイデンティティを感じさせ、独特の一定の音域幅でのリズムの反復と変奏の推移が力をもつエストニア音楽は、やはり声と合唱にその真価があるようだ。
7月8 日(火)
書誌委員会は、『オンライン音楽書誌のコンテンツとテクノロジー』をテーマに、米国ブリンガム・ヤング大学の D. デイによるハーバード、インディアナ、デューク大学及び自身の大学のサイトの事例評価、V. ハインツと A. レーンによる「スウェーデン音楽史オンライン書誌5」(スウェーデン全国書誌データベース(LIBRIS)上級検索システムを活用し、文献単位の検索を可能にしている)、アイルランド在住の日本人研究者、富田庸による「バッハ書誌」(http://www.npj.com/bach/ 既存のバッハ書誌の縦断検索、新刊情報など多様な検索が可能、日本語版はhttp://j.s.bach.gr.jp/tomita/)が紹介された。目録の時代が過ぎ、内容も方法も多様な音楽書誌がホームページ経由で展開される時代となった今日では、何よりその質が問われている。初期には研究者やライブラリアンにとって、厳密さの点で懐疑的に扱われてきたオンライン音楽書誌も目録、典拠ファイル、既存書誌などをベースに、構造と検索法が精査されれば、不可欠なメディアとなることを実感するプレゼンテーションであった。
音楽教育機関図書館部会の第一セッションは、「ライブラリアンと教育」をテーマにスペイン・バスク地方音楽図書館センター、エストニア・タリン音楽院、チリ大学芸術学部からレポートされた。高等専門教育機関である音楽院や音楽学校に、音楽学、音楽教育、ジャズを専攻課程に置くケースが北欧、スペイン語系の国にも少なくない。それによって図書館のレファレンス、IT
指導のスタンスが違ってくること、そしてこれらが時折混沌とした様態を併せ持っていること、この部会初登場の中南米地域の音楽教育機関の困難な実態や付属の図書館が専門化される以前の状況にある情報も得られた。今回は二つのセッションのテーマ主旨が必ずしも報告者に一様に伝わりにくかったため、セッション直前の打ち合わせを急遽ランチ・ミーティングで、という舞台裏もあった。実技主体の規模の小さい音楽教育機関で、ごく日常の図書館における学生指導以前に、ライブラリアン自身の教育、デジタル時代への乗換え、など様々な難しさをかかえていることは先進大国であれ途上国であれ変わることがない。
午後の目録委員会のセッションは、「Functional Requirements for
Bibliographic Records (FRBR) 書誌記録の機能要件」と訳せば良いのだろうか、IFLA
のユニヴァーサル書誌に向けた新しい概念モデルについて、LC 目録政策支援室長 B.
ティレットのプレゼンテーション。これはデジタル環境におけるこれからの目録概念を実体関連分析の手法を用いて定義し直すという注目すべき動きであり、国会図書館刊行のカレントアウェアネス
No. 274
に概要が報告されているので併せて参照されたい(http://www.ndl.go.jp/jp/library/current/no274/doc0006.htm)。利用者行動を類型化・モデル化し、概念整理し直すことを課題としている点に特徴があり、音楽資料書誌のアクセスの多様性にどのようにからんでいくのか、ISBD(PM)
(NBM)
を推進してきたセッション参加者から多くの質問や意見が投げかけられた。来日したこともあるという(国立情報学研究所主催のワークショップコメンテーターとして)彼女はその反応を歓迎していた。実際
1997 年に出発した IFLA 内 FRBR 研究グループの報告書は ISBD や AACR2
改訂に少なからず影響を与えてきた。午後後半の著作権委員会は、EU 加盟準備を進めている地域エストニア、ポーランド、チェコ共和国の報告に終始したが、旧共産圏での
IT 進展に比例し、WIPO 条約加盟を果たしても(エストニアは加盟)、その適用に関する事例を積み重ねるのはまだこれからと云えるかもしれない。著作物尊重とは別の
IT 経済闘争に組み込まれてしまったとしか云いようのない現状で、昨年も述べた IFLA 提言及び IAML ホームページでのアッピールに対する EU
側の図書館、教育機関への例外措置に対する動きはないまま、事態はさらに進んでいる。IT
というモンスターに個人研究者や教育現場では従来の許容範囲を狭められているという焦燥感が、図書館側に依然としてあり、今後のサーヴィスへの危惧もある。疲弊した座長から交代の希望が出され、これは後日カウンシルミーティングで了承された。新座長は
IAML 副会長でもあるイタリアの F. リヴァ。アジア地域のいくつかの関連英文資料提供を新座長から早速求められた。
8月9 日(水)
教育機関図書館部会第二セッションは「音楽院図書館で現代音楽をプロモートすること」というテーマであったが、予定のフランスの作曲家は、現代音楽理解を導く教材作成について述べる筈が参加不能となり、まず私が、現代音楽がどのように学園設立初期から教育と併行・浸透してきたかを歴史を追って紹介し、20
世紀作曲家資料の選書方針、関連資料情報提供のための外部関係機関との連携、書誌作成の必要を序論として述べた後、再編されたオーストリア支部の MIC メンバー B.
ギュンターが、プロモーションだけでなく作曲を志す人々に、教育機関の外側から資料提供のみに留まらないワークショップや教育の機会を提供していることなど、多様な活動を紹介した。一方、この部会では
1998
年から音楽教育機関図書館のネットワークに向けたホームページ(http://www.iaml.info/mtil_index.php)を作り、アンケートによる目録システム情報のページも公開してきたが、そのページをさらに日常的なレヴェルでのネットワークを可能にするダイレクトリーページの作成をめざし意見交換がなされた。英国ロイヤル・カレッジからヨーロッパ地域が中心だが、最近の調査結果も提示された。午後はエクスカーション。タリンとその周辺をバスと足で見学、有名な「歌の広場」や歴史を映し出したままの旧市街をプロパガンダ混じりのガイドで見て廻った。その夜はラトヴィア大学留学生菅野開史朗氏(ラトヴィア国立図書館員と同行、ラトヴィア作曲家
G.
ペレーツィス6の紹介レクチャーを七月末東京で開催)や富田庸氏も交え、荒川恒子支部長、上法茂・岩崎淑夫妻と居心地の良い旧市街のレストランでゆっくりできた。因みに日本支部の本会議参加者は上記に井上公子、関根敏子の各氏を加え
5 名。
8月10 日(木)
午前最初は書誌委員会の第二セッションで「シベリウス全集の周辺」をヘルシンキの編纂者から、「I. ストラヴィンスキーのロシアにおける文献書誌」がモスクワのチャイコフスキー音楽院から報告された。いずれも Fontes に稿が掲載されると聴いているのでそちらを参照されたい。二回目のカウンシルミーティング要点は以下の通り。
11)支部の定義について1カ国だけでなく、地域あるいは2カ国以上の単位でも結成可能とする規約委員会最終案が出され、規約改正になるので投票にかけ来年の総会での承認を待つ。
12)著作権委員会座長(前述)、アーカイヴとドキュメンテーション部会座長(J.
ツー)の異動承認。
13)カウンシルと総会(クロージング・セッションに合わせ毎年開催案)の内容と比重の変更などの議論。
14)年次会議は、2004
年(オスロ 8 月 8ミ13 日、大会 IASA とジョイント)、2005 年(ワルシャワ 7 月 10ミ15 日)、2006
年(スウェーデン・ヨーテボリ、MIC とジョイント)、2007 年(シドニー)、2008 年(ナポリ)、2009 年(アムステルダム)、2010
年(未定)、2011 年(アイルランド・ダブリン)と予定されている。ミーティングの直後、次期会長候補と談笑中、開催地未定の 2010
年「日本で年次会議できないかな」と軽く打診されたことをお伝えしなければいけないだろう。即答できることでもなく、軽く受け流してしまったが、支部の 7
年後を考えるチャンスかもしれない。夕方から国立図書館での歓迎レセプションの後、隣の教会で P.
ヒリヤー指揮エストニア・フィルハーモニア室内合唱団の「バルチック・ヴォイス」と題されたコンサートは C. クリーク1、U. シサク7、A. ペルト8、P.
ノルガルド9、E. ラウタヴァーラ10、H. M.
ゴレッキ11の宗教曲をトレーニングの行き届いた力強いハーモニーで堪能できた。
8月11 日(金)
研究図書館部会は「ポーランドのタブラチュア」、「ロシアの教会音楽」、エストニア生まれの「作曲家
E. トウービン12」、各国の「Bach-Archiv」について発表があった。RIdIM は座長の V. ハインツが怪我でホテルに缶詰状態となり C.
マシップが代行。オハイオ大学からデジタル登録の提案が出され、新時代の RIdIM 一歩前進の気配。事務局の所在についてはパリの国立美術史研究所が有力で、提唱者
B.
ブルークが亡くなったニューヨーク・スタッフはいつでも移動する、と賛同している。傍ら財政基盤や、スイスのゼーバス博士との協同、システム・ソフトの選択などが課題であること、などが話された。
クロージング・セッションに入るまでの数時間を利用して新校舎(1995
旧市街から移転)で再出発したタリン音楽アカデミーを見学。図書館でアルバイトしている音楽学専攻学生がはりきって学校中の案内役をしてくれた。図書館は、私たちには未知のロシア版楽譜が書架を少なからず占めている一方、最新の日本製オーディオ機器が幅を効かせていた。全館オープン書架に利用者は自由に出入りし、閲覧机はなく、試聴席のみ。スタッフ・ルームは十分な採光とコンピュータースペースを巧みに設けたデスクが北欧モダン。正直うらやましかった。
つい先日 RILM 委員長のバーバラが IAML 電子掲示板に今度の会議は One of the best と表現していた。確かに未来を高く見据え、小国での国際会議を精一杯果たしたエストニアのライブラリアンたちのフェアウェルでの晴れやかな笑顔は忘れがたいものとなるだろう。再独立(1991 年 8 月 20 日、流血の惨事なく所謂「歌の革命」)を果たし 10 年余り、ヘルシンキ会議(1993 年 8 月上旬)に、フェリーならわずか 1 時間半という距離をやってきたバルト三国のライブラリアンたち(ヘルシンキ主催者の熱意で旧ソ連邦共和国圏から招かれた彼らの豊かな音楽に触れることはできたのだが)の表情は、当時まだ固いものだったし、その国で国際会議ができる、とは当時考えられなかったのではないだろうか?不況や諸々に疲れた西側が逆に豊かな音楽遺産と人々のエネルギーを感じ取った会議だったと云えるかもしれない。(8 月 10 日記)
注
1
CyrillusKreek,
1889〜1962.
2
VeljoTormis, l930〜.
3
Herbert Tampere, 1909〜1975.
4
Eestirahvamuusikaantoloogia = Anthology of Estonian traditional music. Compiled
by Herbert Tampere, ErnaTampere, and OttilieKoiva. Tartu: Estonian Literary
Museum, ゥ2003. ISSN:1736-0528. EKMCD005. 3CDs.
5
http://www/muslib.se/sma/smhbe.html
6
Georges Pelecis, 1947〜.
Sikorski で楽譜出版
7
UrmasSisask, 1960〜.
8
Arvo P較t, 1935〜.
9 Per
Nソrg較d, 1932〜.
10
Einojuhani Rautavaara,
1928〜.
11
HenrykMikolajGorecki,
1933〜.
12 EduardTubin,
1905〜1982. http://www.kul.ee/emic/est The works of EduardTubin: Thematic
and bibliographic catalogue of works (ETW) . [Ed. by] VardoRumessen. Talin,
Stockholm: Interna-tionalEduardTubin Society, ‘2003.
RILM(国際音楽文献目録員会)会議抄録
関根
敏子(音楽文献目録委員会・RILM 日本支部・事務局長)
2003 年 7 月 8 日、11 日
国際音楽文献目録委員会(RILM)の会議は、2
回おこなわれました。ひとつは公開、もうひとつは各国支部の実務担当者によるビジネス・ミーティングです。
公開ミーティング
2003 年 7 月 8 日(火曜日)午後 4 時 15
分
出席者がかなり多かったのは、今年の新企画として、開催国エストニアとその隣国ラトヴィアの学術的音楽出版の歴史と現状についての報告がなされたことによると思います。その他、昨年に引き続いて索引抽出や収録範囲に関する議論がなされましたが、明確な結論は出ませんでした。
(1)本部
まず、ニューヨーク本部の編集責任者
Barbara Mackenzie から昨年の活動報告がなされました。以下はそのまとめです。
『RILM Abstracts』(国際音楽文献目録)第 32
巻(1998、17,406 の文献)が刊行されました。次の第 33 巻(1999)は、過去に取り上げなかったものを含めたので、数は 34,000
と倍増しているそうです。また RILM 回顧版の新しい巻が発行予定(下記参照)。RILM
のデータベースの発行形態としては、電子出版(オンライン)が一般的になってきました。また、本部内部の新しいデータベース・システムが今年 7
月から作動を開始し、今後の編集作業の充実が期待されます。
最後に、本部と各国支部に長年寄与してきた 3 人―― Yves Lenoir(ベルギー)、
SpyridonPeristeris(ギリシャ)、Leslie
Troutman(本部テクニカルアドヴァイザー)――の訃報、そして本部での人事異動について報告がなされました。
(2)各国支部
今年度の支部総数は 56 で、11,000
の文献が送付されました。新しくアフリカ、チリ、中国、フィンランドが支部として本格的な活動を開始。南アフリカ支部の新委員長クリス・ウォルトン氏は、全大陸をカバーする組織を作る可能性を示唆したとか!また、中国最大の図書館スタッフで昨年バークレー国際会議にも出席したガオ・ジー氏は、中国支部の設立のために動いているそうです。さらに、チリのカルメン・ペニャ、フィンランドのヤーコ・トゥオヒニエミが新しく支部を担当することになりました。
本部は、活動を休止している支部の出版物の要旨も集めるよう努力しています。毎年
RILM データベースに加わる平均 20,000 の文献中、5000ミ8500
が国際本部で収集され、その大半は国際本部に送付された雑誌から得られたものです。
(3)国際音楽文献目録
目録のデータベース(有料)は、現在 5 つの異なるオンラインで利用可能です。これまでの
OCLCユs FirstSearch, NISCユs BiblioLine に、2002 年 2 月からは Ovid(SilverPlatter
Interface)が加わり、今年に入ってから EBSCO と CSA
でも利用することができるようになりました。
最近の傾向としては、印刷版の利用が減って、オンラインへの変更が増えているそうです。 30
日間の無料トライアル(free trial subscription)もできますので、ぜひお試しください(詳細は RILM の HP
www.rilm.orgに)。なお、目録は、ネット以外にも、CD-ROM
や印刷版でも入手可能です。
(4)回顧版プロジェクト
このプロジェクトへの助成金のおかげで、3 人の編集者と 1
人のアシスタントが活動できることになりました。内容としては、まず 1966 年から 19
世紀末までの会議報告をさかのぼっていきます。次に雑誌紀要を取り上げ、RILM と RIPIM の共同作業で進めていきますが、具体的には 1950 年までを
RIPIM が、その後を RILM が担当します。
(5)RILM と JSTOR
の提携
国際本部は、国際音楽文献目録に必ず論文を掲載する雑誌(コアジャーナル)のリストを、JSTOR(Journal Storage: The
Scholarly Journal Archive)の新しい Music
Collection(学術的音楽雑誌のフルテキスト保存)のために作成しました。次に音楽学者と図書館員からなる委員会を組織、さらに JSTOR
の基準に従って選定することにより、最終的に 35 の雑誌を選び出しました。そのうち 31 の出版元と同意に達しています。これら 31
のタイトルすべての完全デジタル化は、ほぼ終了しました。 Music Collection
は来月から作動を開始する予定です(http://www.jstor.org/about/music.list.html
参照)。次のプロジェクトは、リルムが創設された 1967 年以前の論文の要旨と索引を作成していく予定です。
(6) RILM の HP(www.rilm.org)
RILM の HP
が近々更新され、リルムの電子版取り扱い業者に関する情報、リルムの歴史、目録のサンプルページや索引、更新された雑誌リスト、各国支部について等々、多くのものが付け加えられる予定です。
(7)国際本部の新しいデータベース
国際本部の事務局内部のデータベースが、インターネットと連動する新しいシステム
iBis(inter-net bibliographic indexing
system)を導入する予定です。ただし現時点では、ようやく事務局でベータ版を試している状況です。
(8)その他
各国支部で独自の目録を発行しているのは、今まで日本だけでしたが、フランスやドイツが企画をたてていますし、カナダも関心を示しています。
*エストニアとラトヴィアの学術的音楽出版の歴史と現状についての報告
国際本部からの活動報告の後は、いつも開催支部の活動についての発表がなされるのが慣例でしたが、今年は複雑なバルト 3
国の歴史を考慮して、ラトヴィアとエストニアの関係者が両国の状況について、パソコン画面を駆使した興味深い発表をおこないました。以下、簡単に紹介しておきます。
ラトヴィアの歴史は、独立との闘い。1918ミ40
年に共和国として独立していましたが、1940 年から 50 年間ロシア領に。出版社は 4 つで、必ずラトヴィア語とロシア語の 2
つで印刷。内容もロシア・イデオロギーの影響を受けていたそうです。1991
年にようやく独立国家となったものの、まだ十分な財政支持がなく、音楽学者も少なく、出版点数も少ないとか。現在の問題点としては、ラトヴィアの作曲家のレフェランスがなく、モノグラフもないそうです。また現代音楽史、教則本、音楽事典なども不足しているとか。こうした事柄を、バインダーノート風の画面に次々と展開していきました。
次は、エストニアにおける音楽研究のための現在の出版状況について。まずは初物尽くし。すなわち、エストニア語による最初の本は 1535
年(ルター派のカテキスム、現存していません)、最初の音楽関係書は 1637 年、最初の雑誌は 1766 年というように。音楽雑誌は、1885ミ97
年に発行されていましたが、その後ずっと沈黙を続けていたそうです。しかし独立後の最近 10
年間には、活気に満ちた多種多様な試みがなされています。
ビジネス・ミーティング
2003 年 7 月 11 日(金曜日)午後 9 時 15
分
数年前から、各国支部の実務担当者のみの会合が特別に催されるようになりました。その理由は、公開では実務的な細かい事柄についての検討は難しいからです。さて、今年の出席者は、イギリス、オーストラリア、アメリカ、チェコ、ニュージーランド、ラトヴィア、イタリア、エストニア、ロシア、スウェーデン、リトアニア、ノルウェイ、ドイツ、フランス、アメリカ、日本など、約
20 人(複数名の国もいます)。
(1)概観
文献の送付数は前年より少ないものの、十分な量がありました。56 支部中、ゼロが 16
。送付文献数の上位支部は以下の通りです。ドイツ 3,909 アメリカ 2,439 ロシア 945 フランス 610 スペイン 600 日本513 ブラジル
500。送付数の統計は、会計年度(7 月 1 日− 6月30日)にあわせて数えています。
次に、文献送付の締め切り日が通知されました。たとえば 2000 年出版の文献は 2003 年
11 月というように。
(2)メーリングリスト
本部と各国支部間の連絡と問題提起や解決のための
ML(RILM-L)は、厳密に各国支部の実務担当者だけにメンバーを限定したものです。昨年から試験的に始められていましたが、担当者の闘病と逝去のため一時中断していました。しかし、今秋からアラン・グリーン(オハイオ州立大学音楽図書館長)が引き継ぐことが決定し、10
月に入ってから本格的に再開されました。
(3) RILM
のウェブサイト
現時点では、各国支部とそのメンバーリストだけが掲載されていますが、それだけでは各国支部の活動状況がわかりません。そこで、個々の支部の
HP があれば、そこにリンクできるようにします。HP
がない場合には、本部のサイトに場所を提供する予定です。まだアイディアの段階ですが、支部に関する情報、重要雑誌、沿革、メンバー紹介、年次レポートなどを盛り込みたいとのことでした。
(4)支部の活動
支部の組織は各国で違います。今年のレポートに、運営法を書くようにとあったので送付したところ、返事をしたのはロシアと日本だけ。そのため、今回のナショナル・レポートとして送付されたものが、全文掲載されました。本部は、これを出発点として各国支部から情報が寄せられることを期待しているそうです。
(5)要旨の書き方
すでに添付メールによって送付されてきておりました。大きな変更はありませんが、必要事項が簡潔に明示されています。
(6)新しいデータベース・システム
現時点では、有料のオンライン・データベースは支部といえども無料では使用できませんが、本部は限定メンバーによるアクセスが、資料送付数の増大に貢献すると思われる場合のみ許可することを考慮中だそうです。
一方、公開ミーティングでも取り上げた国際本部事務局内部システム iBis
が、ちょうど会期中の 7 月 7 日から稼働を始めました。この内部システムは、少なくとも各支部 1
名がインターネット経由でアクセスできるようになる予定です。 なお会議では、ユーザー名とパスワードは、完成次第、国際本部から送ってくるとのことでしたが、まだ届いておりません。
*RILM 国際本部主催の親睦会
2003 年 7 月 9 日(水曜日)午後 9
時
バーバラが事務局長になって以来、各国支部のメンバーとの親睦をはかり、意志の疎通を円滑にしようという試みがなされています。最初は有志だけという感じでした。ニュージーランドでは、国立図書館での見学後に予定されていたのですが、最初のグループで入ったはずの本部スタッフ男性
2 人と筆者が、終わってみると一番最後になっており、ロビーには誰もいなかったことがありました。そのため、結局 3
人で豪華な夕食をとることができたのですが。
2000 年のフランス・ペリグー大会の時から、親睦会が RILM
の正式行事としてプログラムに掲載されるようになりました。それは必ず水曜日午後の遠足の後、夜の 9
時から始まり深夜まで続きます。ペリグーでは路地に椅子を並べ、フランス・ワインを飲みながらの文字通りの歓談でした。翌年のアメリカ・バークレーでは、宿舎の中庭。昼間の遠足で訪れたカリフォルニア・ワインの蔵で購入したボトルを開けて。
そして今年もやはり水曜の深夜に、タリンの旧市街にあるビアホールで開催されました。2
年前のフランスの時に、テーブルの上にあった紙ナプキンで鶴を折ったところ、チェコ支部の人が船を、ノルウェー支部の人がかぶとを作ったことがありました。その時は白い紙だったので、今年は千代紙を持参。皆フランスの時のことを覚えていたので、大好評でした。ところが、希望者が多すぎて、夜中まで折り紙の内職をしているような状態に!
コンサート・リポート
関根
敏子(音楽文献目録委員会、RILM日本国内委員会 事務局長)
IAML の国際会議では、原則として 2
回の音楽会がおこなわれます。多くの場合、ひとつは民俗音楽か古楽、もうひとつは現代音楽です。タリンでも 2
種類の音楽会でしたが、ひとつはオルガン、エレキギター、トランペットという組み合わせ。もうひとつは、現代の合唱音楽でした。
(1)7 月 8 日(火)
19:00
会場のニグリステ(聖ニコラス)・ミュージアム=コンサートホールは、もともと 13 世紀ゴシック様式の教会でした。しかし 1944
年のソ連軍の空襲によって全壊し、戦後に再建されてからは博物館と演奏会場として使用されています。エストニアで重要な中世美術作品 4 つのうち 3
つを所蔵しており、内部には「死の舞踏」(ベルント・ノトケの傑作)や聖ニコラウスの生涯を描いた主要祭壇(ヘルマン・ローデ作)など、15
世紀に活躍したリューベック出身の芸術家による絵画や彫刻などのコレクションが展示されています(詳細は、以下を参照ください。http://www.ekm.ee/english/niguliste/index.html、http://www.ekm.ee/english/niguliste/nigulbuilding.htm)
この演奏会は、「クロスオーヴァー・オルガンとオーヴァードライヴ・ギター」と題されていました。プログラムは、オルガン(Andreas
Uibo)、エレキギター(Ain Varts)、トランペット(J殲i
Leiten)のための編曲を中心に、バロックから古典派・ロマン派を経てエストニアの現代音楽へと至る音楽史を旅しようというもの。
演奏は、教会のオルガン・バルコニーから。エレキギターが入っていることからもわかるように、マイクが使用されていました。オルガンとトランペットという組み合わせは古くから存在していますので、第
1
曲のジャン=バティスト・レイエ(1680〜1730)の「コルノ・ダ・カッチャとオルガンのためのソナタ」にトランペットが使用されていても、そうかなと思うくらい。ゲオルグ・ベーム(1661〜1733)のオルガンコラール「天にまします我らが父よ」も立派な演奏でした。
でも、その後はヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750)の「シチリアーナ」、ガブリエル・フォーレ(1845〜1924)の「パヴァーヌ」作品
50、クリストフ・ヴィリバルト・グルック(1714〜87)の「メロディー」、フレデリック・ショパン(1810ミ49)の「前奏曲」、後半にもカミーユ・サンサーンス(1835〜1921)の「白鳥」、トマソ・アルビノーニ(1671〜1751)のアダージョというように、名曲が信じられないような編曲で並んでいたのです。あまりにも文字通りのオーヴァードライヴ(暴走)。
たとえばサンサーンスの「白鳥」では、マイク付きのエレキギターが旋律を弾き、それをオルガンが伴奏するといった調子。エレキギターの奏者は、エストニアでもっとも有名なロックとジャズのギタリストのひとりということですが、このような編曲では、聴かせどころが少なく、腕の見せようもありません。このコンサートは、IAML
会議のための特別演奏会ではなく、一般の人たちと一緒だったからかもしれませんが。
後半には、エストニアの現代作曲家の作品が取り上げられていました。ウルマス・シサスク UrmasSisask(1960)の連作「ウラヌス」からの2楽章は、不協和音が中心ではあるものの、それほど前衛的なものではありません。それでも Peeter Vaehi(1955)の「天の湖」は、上記の 3 種楽器以外に、トロンバマリーナのような珍しい民俗楽器を使用して聴衆を楽しませてくれました。
(2)7 月10日(木) 19:00 カアルリ教会
「Baltic
Voices」と題するコンサートは、文字通りバルト海沿岸の国々の作曲家たちによる作品を集めたもの。演奏は、カリスマ的合唱指揮者とも呼ばれるポール・ヒリヤー指揮によるエストニア室内合唱団。ヒリヤーは、イギリス人でヒリヤード・アンサンブルの創設者として知られており、昨年にはエストニア室内合唱団とともに来日。また「Baltic
Voices 1」(バルト沿岸諸国の近現代合唱曲シリーズ)という CD も発売されています。
演奏会場は、その後でレセプションのあったエストニア国立図書館の前にある教会。当日そばにいた友人のナノン・ベルトラン(オルガニストで 19
世紀フランスのオルガン音楽の研究者、出版社 Publimuse
代表)によれば、この教会の絵はマリアが描かれていないので、プロテスタントにちがいないということでした。その後、本報告を書くにあたって調べてみると、本当にルター派の教会(EELK
TallinnaToompeaKaarliKogudus、エストニア福音ルーテル教会、カルル 11
教区教会)であることが判明したのです(福音ルーテル教会については http://www.jelc.or.jp
参照)。ナノンはオルガニストでもあるので、こうしたことにすぐ気がつくものと感心しました。でも、この教会(http://www.eelk.ee/tallinna.kaarli)や音楽活動(http://www.ngonet.ee/kaarli/muusikatoo.html)については、解説がエストニア語しかないので、正確には不明なのが残念です。1636
年の建設らしいのですが、おそらく 1870 年に再建されたらしく、内部はかなり広く、飾り付けは簡素で、19
世紀以後の建築様式を思わせます。
教会は町のはずれにあります。地図で下見をしていったのですが、途中で買い物をしたのが失敗のもとでした。実は、飛行機で隣にすわったエストニア人女性から、同じリプトン紅茶のティーバッグでも、日本とまったく味が違うと言われたので、本当かどうか買ってみようと思って、途中にあるスーパーへ。首尾よく紅茶の箱を見つけたのですが、スーパーを出る時に方向を間違えたらしいのです。でも、偶然に路上でナノンとバッタリ!何人かの会議出席者と一緒に教会をめざしました。かなり遠くて、到着した時には開演ギリギリ。会場はほぼ満員でした。
プログラムは「Baltic
Voices」というタイトル通り、バルト海沿岸の国々の作曲家たちによる作品を集めたもの。前半には無伴奏合唱曲が並んでいました。
最初の 3 曲は、エストニアの作曲家の作品。まずクレーク
CyrillusKreek(1889ミ1962)による 3 曲、詩篇 104、いかに幸いなことか(詩篇 1 より)、詩篇
141(1922ミ23年作曲)でした。これは、前述した CD「BALTIC VOICES 1」(2002 年発売、HARMONIA MUNDI,
HMU907311)に収録されています。クレークの写真は、http://www.ttc.ee/eesti_muusika/heliloojad/Kreekに(残念ながらエストニア語の説明)。彼は、エストニアの民俗音楽に早くから注目して録音にも力を注いだ作曲家で、とくに宗教音楽は
600 曲以上も残しています。合唱指揮もしていただけに、無伴奏でもしっかりとした厚みを感じさせる曲でした。
2 曲目はシサスク UrmasSisask(1960
生)(http://www.musenet.co.jp/LPO/1/1-27.htm)による「グロリア・パトリ」(1988)からの 5
曲。天文学を愛し、古城の塔で作曲するという音楽家だけに、ピアノ曲「銀河巡礼」など、さまざまな星座を表現した曲を書いています(日本では、一部が「星の組曲」として出版
http://www.zzz.ee/edition49/composers/u_sisask/index.htm)。合唱曲の楽譜は、2
曲が全日本合唱連盟から出版され、いろいろな団体が歌っているようです。「グロリア・パトリ」(全 24 曲)からの 5
曲は、簡潔で柔らかな響きが天上から聞こえてくるようでした。上記のオルガン・コンサートでも取り上げられていた作曲家です。
3 曲目は、日本でも名を知られたアルヴォ・ペルトArvo Paert(1935)の
"...... which was the son of
..."(2000)。おそらくバルトやエストニアの作曲家といえば、真っ先に思い浮かぶのがペルトでしょう。 1960
年代にはセリー技法や表現主義的な現代音楽を書いていましたが、1968 年に中断、1976
年に発表した作品から中世のペロタンなどの音楽から想を得た独特の「鈴鳴らし様式 Tintinabuli Style」という技法を使用しています。演奏曲は、2000
年というミレニアム記念に霊感を得て、聖書の「ルカによる福音書」イエスの系図(3:
23-38)に音楽につけたものです。
前半最後の 2 曲は、デンマークとフィンランドの作曲家でした。ペア・ネアゴー Per
Nソrg較d(1932生)と言えば、IAML のデンマーク国際会議の時に現代美術館でおこなわれたサフリ・デュオ(若手打楽器奏者 2
人)によるコンサートが強く印象に残っています。三木稔のマリンバ・スピリテュエルが素晴らしい演奏でした。デンマークの前衛音楽を率いてきたネアゴーですが、「Winter
Hymn」(1976/84)は、ルネサンスの作曲技法であったカノンによるプロポルツィオ技法などから発想を得たもので、音楽の進行が、単純だが奥深いテキストに語られた自然や人間の心の移り変わりを映し出していきます。
フィンランドのエイノユハニ・ラウタヴァーラ Einojuhani
Rautavaara(1928生)は、ヘルシンキに生まれ、アメリカやドイツに留学し、コープランドなどに学びました。作品には、ヒンデミットなどの新古典主義、ロシア音楽、12
音技法などの様式が次々と取り入れられていきます。合唱音楽では、くっきりとした旋律線が、異名同音的に方向を変化させていく三和音的な響きによって支えられています。「ロルカ組曲」作品
72(1973)は、指揮者ヒリアーによれば、「私の耳には典型的なラウタヴァーラの音楽に聞こえるにもかかわらず、スペイン語のテキストがこの作曲家の想像力を解放し、最上の作品のひとつを創作するのを助けていると思われる」というのです。ロルカはスペインの詩人。
後半は、ポーランドのヘンリク・ミコワイ・グレツキ
HenrykMikolayGorecki(1933)の大作 1 曲だけ。グレツキと言えば、第 2 楽章で収容所に少女が書き残した言葉を使用した悲痛な「交響曲第
3 番」が強く印象に残っていた作曲家。ポーランドがバルト 3
国のもっとも西側にあるリトアニアの隣国ということを、エストニアに来て地図を見て初めて実感しました。
「Salve,
sidusPolonorum」(1997/2000)は、大規模な混声合唱(エストニア室内合唱団に ETV 少女合唱団とレヴァリア男声室内合唱団が加わる)、2
台のピアノ、オルガン、打楽器(5 人!)という特異な大編成によるカンタータで、2000
年ハノーヴァー万博で初演されました。タイトルは「めでたし、ポーランドの星」という意味で、副題が「聖アダルベルト・カンタータ」作品 72 というように、997
年に殉教し、後にボヘミアの守護聖人となったポーランド司教 Woicieh(聖アダルベルト)を記念した内容です。第 1 楽章と第 3
楽章は古いポーランド音楽への情熱を感じさせるもので、この聖人と関係した 15
世紀の聖歌が使用されています。一転して楽器伴奏、それも華麗な打楽器群が入った音楽は、まさに偉大なオラトリオを聴いたような充実感を味わせてくれました。とはいえ、コンサートが終わった後も、まだまだ明るい夜を国立図書館でのレセプションが待っていたのです。