International Association of Music Libraries, Archives and Documentation Centres
Japanese Branch

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ニューズレター第23号
May. 2004

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江戸時代の日本で歌われたオランダ歌曲
笠原 潔(放送大学)


 江戸時代の日本に流入してきた西洋音楽は、大きく以下の三つに分かれる:1.長崎・出島のオランダ商館を通じて入ってきた西洋音楽;2.帰国した漂流民が海外から持ち帰った西洋歌曲;3.幕末に開港地や居留地で演奏された音楽。

 このうち、1.に関しては、ほとんど曲名が判明していない。江戸時代に長崎・出島を経由してオランダから入ってきた音楽で曲名が判明している例は、筆者が把握している限りでは、文化十四(1817)年に着任したヤン・コック・ブロムホフの出島商館長時代に《ウィルヘルムス・ファン・ナッソーウェWilhelmus van Nassauwe》(現オランダ王国歌。当時は愛国歌)がさかんに演奏された記録があることと、パリで活躍したイタリア出身のオペラ作曲家ドゥニの音楽劇《二人の猟師とミルク売り娘》が文政三(1820)年に出島で上演された(原フランス語。出島で上演されたのはオランダ語版)記録があるだけである。

 ほかに、弘化元(1844)年にコープス使節団がオランダ国王親書を携えてオランダ軍艦パレンバン号で来日した際、随行した軍楽隊が当時のオランダ国歌《ネーデルランドの血 Wien Neêrlandsch bloed》を演奏したであろうこと、また、おそらくは愛国歌《ウィルヘルムス・ファン・ナッソーウェ》も演奏したであろうことが推測される程度である。

 こうした状況から、江戸時代の日本に流入してきた音楽に関する音楽学的な研究は、あまり進んでいないのが実情である。

 こうした研究状況を打開する一策として考えられるのが、江戸時代の日本で歌われたオランダ歌曲の調査である。江戸時代の日本で歌われたオランダ歌曲の調査を通じて原詩を確定し、それを通じて旋律が特定できれば、江戸時代の日本に流入してきた西洋音楽に関する音楽学的な研究が多少なりとも進展することが期待される。筆者が江戸時代の日本で歌われたオランダ歌曲の調査に着手したのは、そうした事情からであった。

 筆者は、これまでに、江戸時代の日本で歌われた十一曲のオランダ歌曲の歌詞を収集した。そのうちの三曲はオランダ語で歌詞が記されており、残りはカタカナや漢字でオランダ語歌詞が表記されている。これらの歌詞と関連資料を持って200334日から14日までオランダに行き、アムステルダムで歌詞の復元作業と関連資料の調査を行った。今回の調査では、オランダ王立科学アカデミーのメールテンス研究所 Meertens Instituut voor onderzoek en documentatie van Nederlandse taal en cultuur, Koninklijke Nederlandse Akademie van Wetenschappenの口承文化―歌謡文化部門特別研究員 bijzonder onderzoeker orale cultuur - liedcultuur であり、ユトレヒト大学音楽学部客員教授 bijzonder hoogleraar in de Nederlandse liedcultuur van heden en verleden aan de Universiteit Utrecht, afd. muziekwetenschapでもあるルイス・ペーター・グレイプ博士 Prof. Dr. Louis Peter Grijpの協力を全面的に仰いだ。

 同研究所は、オランダ言語文化専門の研究機関で、特にオランダ口承文化、すなわち歌謡と民話の収集に力を入れている。研究所は、アムステルダム市南東部にあった。研究所内には、一人部屋、二人部屋を合わせて20室ばかりあった。おそらく、30人ほどのスタッフが常駐しているものと思われた。オランダ歌謡の歌詞・楽譜を、原本のほか、マイクロフィルム、紙焼資料の形で網羅的に収集を進めている。手稿資料はあまり収集していないようであった。資料は、従来、図書カードで整理していたが、現在、コンピュータでデータベース化を進めており、その作業はほとんど終了しているとのことであった("V"の項目を入力中であった)。歌謡の歌詞は、全てデータベース化されていた。 研究所内は完全にLAN化され、各研究室にボンダインブルーの初代IMacEMacが一人一台ずつ設置されていた。データベースのサーバとしてG4でも使用しているのではないかと思われたが、実物は目にしなかった。OSはまだ9.2を使用していた。グレイプ氏に尋ねたところ、「Windowsは、自宅で個人的に使用しているスタッフはいるかも知れないがノノ」とのことであった。歌謡歌詞のデータベースは、データベース・ソフトであるFileMakerProで構築し、詩のタイトル、作詞者名、作曲者名(あれば)、書名・収録誌名・収録楽譜名、出版社、出版年、出版地、詩のincipit、韻律構造、歌詞中のキーワード、リフレイン、リフレイン中のキーワードなどを入力・検索項目化していた。こうした資料のデータベース化ならびにLANを介しての所内での情報の共有ぶりには、日本でも学ぶべき点が多いように思われた。

 ルイス・グレイプ氏は、ハーグ音楽院で佐藤豊彦に師事した古楽の専門家で、古楽演奏団体 Camerata Trajectina の中心メンバーとして活発な演奏活動を進めている。また、「ホイヘンスの音楽」など、LP時代から多数の録音を行ってきたが、2003年に発売されたCDVOC(オランダ東インド会社)の歌」と題するシャンティー(水夫たちの歌)集の録音は、その中に江戸時代の長崎で歌われた歌が含まれている可能性もあるので、多いに注目される。また、氏が監修した書 "Een muziekgeschidenis der Nederlanden"(Amsterdam University Press / Salome, Amsterdam, 2001, ISBN: 90-5356-488-8CD-ROM付き)は、日本とも歴史的つながりの深いオランダ音楽史に関する近年の研究成果を取り入れた包括的な著作として多いに注目される。

 十一曲のオランダ歌曲の歌詞の復元にあたっては、歌詞がカタカナ等で表記された曲に関しては、笠原が推定復元したオランダ語歌詞の素案に基づき、表記された歌詞を笠原が読み上げ、それを聴取したグレイプ氏が、単語の意味や文法、さらには韻律や踏韻構造を考慮しながら、元のオランダ語歌詞を推定する、という方法を取った。また、和解があるものは、笠原が訳した和解内容を復元の参考にした。その際、留意したのは、以下の点である。

 1.復元に使用した資料は、元来日本語とは音韻体系の異なるオランダ語の発音を日本語で表記したものであるため、歌詞の日本語表記には多くの転訛があることが予想される。そうした可能性を考慮して、笠原が発音を替えながら何度も日本語表記の歌詞を読み上げ、それをグレイプ氏が聴取して元のオランダ語歌詞の復元にあたるようにした。

 2.当時は日本語でのオランダ語単語の統一的な表記法は存在せず、各記録者は、耳に聞こえるオランダ語の発音を、耳に聞こえるままに、表記法を工夫しながらカタカナ表記したと考えられる。従って、原詩の復元にあたっては、現在のカタカナ表記が示す音韻体系にこだわることなく、当時の表記法の柔軟さ、もしくは混乱ぶりを考慮して、文脈に即して原語を探るよう努めた。

 3.古い時期に記された記録は、現在とは異なる古いオランダ語の発音法を記録している。例えば、オランダ語のg音は、現在では [x] と発音されるが(「ハ」音に近い)、江戸時代の資料ではガ行の音で記されている。従って、復元にあたっては、オランダ語の古い発音法を考慮に入れつつ、原語の確定に努めた。

 4.原詩の復元に使用した史料の大半は、オリジナル史料ではなく、現代の翻刻資料である。従って、転写や翻刻の際に、転訛や脱落、さらには誤記が生じたことが考えられる。原詩の復元にあたっては、こうした点にも留意した。

 5.江戸期の表記資料は、当然のことながら、当時の仮名遣いの原則に従っている。その結果、促音は、通常、小文字で表記せず、大文字のまま表記されている。また、当時の表記習慣では、濁点はしばしば省略される。復元にあたっては、これらの点にも注意を払った。

 6.当時は、オランダ語の正書法が確立していなかったので、原詩が現在とは異なる綴りで記されていた可能性がある。日本語表記や踏韻状況から元の綴りが推定できるものはそのように復元したが、不明な場合は現在の正書法で記すようにした。

 歌詞がオランダ語で記されているものに関しては、グレイプ氏がこれに検討を加えた。

 以上のような復元作業と併行して、メールテンス研究所のデータベースで関連資料の有無を検索し、関連資料がある場合はこれも参考にした。

 こうした復元作業を通じて、下記のような結果が判明した。

 1.2.天和二(1682)年、オランダ商館長ヘンドリック・カンジウスが五代将軍徳川綱吉の前で歌った歌(1)(2)

 これに関しては、ほぼ完全に元のオランダ語の歌詞の復元に成功した。その結果、この歌詞は、カンジウスが、既存の旋律に合わせて即興したらしいことが判明した。メールテンス研究所のデータベースには関連する歌曲のデータはなかった。

 3.青木昆陽が習った「和蘭勧酒歌」(延享二〔1745〕年)

 この歌は、延享二年に江戸参府した出島商館長ヤコブ・ファン・デル・ウェインらから青木昆陽が学んだ「酒呑み歌」で、昆陽がオランダ語で歌詞を記したものが国立公文書館内閣文庫に所蔵されている。メールテンス研究所のデータベースで検索したところ、オランダの詩人David Questiers1623~1663)が作詞した類似のDrink-liedtEvert Nieuwenhoff 刊、De Olipodrigo, Amsterdam, 1654、所収)があることが判明した。この資料を通じて、Questiersが作詞した歌も、昆陽が習った歌も、"Camerades Lampons" と題する伝統的な「勧酒歌」に基づくものであ Reprints, Geneve, 1968)、に収録されていることも判明した。 またこの歌の旋律は、Alain René Le Sage et D'Orneval, Le Théâtre de la Foire ou l'Opera Comique, contenant les meilleures pièces qui ont été représentée aux foires de S. Germain et de S. Laurent, 10 vols., Paris, 1737 (reprint Slatkine Reprints, Geneve, 1968)に収録されていることも判明した。

 なお、グレイプ氏が内閣文庫所蔵の「和蘭勧酒歌」の内容を分析した結果、昆陽が書き留めた歌詞には、多くの脱漏や誤記があることも判明した。

 4.「本木蘭文」所収猥歌

 オランダ通詞の本木庄左衛門正栄が、自家に伝わる蘭文や自身が書き留めた蘭文などを冊子に仕立てた「本木蘭文」のうち、寛政七(1795)年にまとめられた「諸雑書集」は神戸市立博物館に所蔵されている。その中に一編の猥歌がある。歌詞はオランダ語で書かれている。メールテンス研究所のデータベースで検索したが、関連資料はなかった。

 5.天理図書館所蔵「蘭香」所収のオランダの戯れ歌

 天理図書館所蔵の貼交帖「蘭香」の中にオランダ語で書かれた一編のオランダ歌曲の歌詞がある。『天理図書館善本叢書』和書の部第八十巻「洋学者稿本集」(八木書店、1986年)の解説では「オランダのわらべ歌と想像される」と書かれているが、わらべ歌ではなく、戯れ歌の類であることが歌詞内容から分かる。メールテンス研究所のデータベースで検索してみたが、関連資料はなかった。

 6.7.「崎陽雑話」所収歌(1)(2)

 長崎純心大学長崎学研究所越中文庫所蔵の「崎陽雑話」と題された稿本(おそらく、天保五〔1834〕年以降)の中に、二編のオランダ歌曲の歌詞が記されている。歌詞はカタカナで記されているが、どちらもオランダ語の原詩の復元に成功した。メールテンス研究所のデータベースで検索したところ、第二曲の歌詞は、同研究所が所蔵する、ストリート・ソングの歌詞を収めた二点のパンフレットに所載されているものと一致することが判明した。

 8.「和蘭兵隊さん」

 長崎の「おくんち」で今でも江戸町の住人たちが歌っている歌曲である。「カーリンデ、カーリンデ」という言葉で始まる。おそらく、ナポレオン戦争時代の軍歌と思われる。残念なことに、歌詞の復元には成功しなかった。ただ、グレイプ氏からアドヴァイスを受けてデルフトの陸軍博物館で十九世紀の軍歌集を調べるうちに、「カーリンチェ(キャロラインちゃん)」という女性の名前を読み込んだ歌が見つかった。そこから、この歌は「カーリンチェ」なる女性に対する呼びかけで始まる歌である可能性が出てきた。

 9.10.11.『横浜繁盛記』所収オランダ歌曲(1)(2)(3)

 安政六(1859)年の横浜開港直後に出版された『横浜繁盛記』なる書物には三編のオランダ歌曲の歌詞が収録されている。オランダ語の発音は漢字で表記され、カタカナでルビが振ってある。三曲とも歌詞の復元に成功した。また、メールテンス研究所のデータベースで検索したところ、第二曲の旋律は、Richard Vankenhove en Adhemar Lepage, Het Volksleven in het StraatliedVolks-drukkerij, Gent, and Wilde Roos, Brussel, 1932)に収録されていることが判明した。ヘント(現、ベルギーのガン)地方で歌われていたストリート・ソングを集めた曲集である。

 なお、以上の十一曲の詳細については、拙稿、「江戸時代の日本で歌われたオランダ歌曲について」(『放送大学研究年報』第21号、20043月)に記したので、参照されたい。

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IAML日本支部2003年総会の終了後、第34回例会が洋楽流入史研究会との共催で開催された。講師の笠原氏は詳細な配布資料に沿って、非常に興味深い研究成果を発表された。以上に掲載した小論は、例会終了後に笠原氏に依頼し、あらためて作成していただいた発表内容のレジュメである。

34IAML日本支部例会

日時:    200366 ()

          午後715分~9

場所:    東京文化会館中会議室

講師:    笠原潔 (放送大学)

演題:    江戸時代の日本で歌われたオランダ歌曲