東京会議特別号
1988 TOKYO NEWSLETTER No.3
1988.4.15. 発行
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いよいよ参加要綱発送
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昨62年12月に、海外会員約2,000名に参加要綱を発送いたしました。今年度はIAMLと別個に年次会議をもつ予定の、IASAの会員にも呼び掛けましたし、また、アジア諸国のユネスコ関係者にもお知らせしました。欧米以外からの出席者の多い、意義深い会合になることが期待されます。
国内参加者の皆様のための参加要綱も、3月中には発送できる見込みです。ふるって御参加くださいますよう、今から予定帳の9月4日から9日の欄に、「IAML」とご記入頂ければ幸いです。
前号発行以後に決定した題目(仮題)/発表者は次のとおりです。
日本の公共図書館と音楽資料:都内の図書館の比較研究/磯部修子
日本の公共図書館と音楽資料:統計から見て/(未定)
ジャパン・マークの音楽資料/(未定)
NHKの音楽資料目録システム/稲田正康
東京芸人のアーカイヴ資料/角倉一朗
日本の音楽関係雑誌/岸本宏子
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東京会議後援機関・団体決まる
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東京会議1988の後援機関・団体はほぼ以下の通りに決まりました。
文化庁、東京都、台東区、国立国会図書館、学術情報センター、国際交流基金、日本図書館協会、日本音楽学会、東洋音楽学会(一部申請中)
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Fontes Artis Muslcae
"Japanese Issue"まもなく刊行
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IAML機関誌Fontes Artis Musicaeでは、東京会議1988開催を記念して日本特集号≠ェ編集されることになりました。国内編集委員会(柘植元一委員長)では一昨年より日本特集号≠フための準備をすすめてきましたが、去る1月30日下記の通り原稿を送付、編集長Bryan
Redfern氏より受理した旨連絡がありました。掲載予定の次号(vol.34、no,4)は、遅くとも8月までには刊行される見込みです。
Fontes Artis Muslcae "Japanese Issue"Introduction(T0YAMA Kazuyuki)
The Descriptive Oataloguing of Music in Japan.(HIRAO Kozo)
0n the Publication of Musioal Soores and Phonograph Records in Japan: A
Statistical Analysis.(NISHIMURA Ichiro and KONDO Hisao)
The History of Musical Publications incJapan: Books on Western Music(OGAWA
Takashi and MORI Setsuko)
Discography and Filmography‐(TSUGE Gen*ichi)Collected Editions and Music Series
Published in Japan: AComprehensive List(Joaquim M.BENITEZ)
Music Periodicals in Japan: A Comprehensive List(LIN Shu-Ji)
Recherche d*iconographie musicale au Japon(MIYAMA Yoshio)
Source Materials of Music in Japan(FUKUSHIMA Kazuo)(順不同)
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IAML東京会議1986にご寄付を
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昨年9月からIAML東京会誌1988のための募金活動が開始されました。東京会議開催のための経費はほぼ2600万円と見込まれています。このうち2000万円は寄付金によって賄われなくてはなりません。東京会議開催の趣意にご賛同くださる方のご寄付をお願いします。募金要領は以下の通りです。
募金額
個人 一口5000円
法人・団体 一口50000円
(物品または出版物への広告掲載料でのご援助も歓迎いたします。)
払い込み方法
郵便振替 東京9−194629
IAML東京会議1988
銀行振込 東京銀行本店 (普通)1671405
IAML東京会議1988
連絡
IAML東京会議1988事務局
東京都港区西麻布4−19−6
日本近代音楽財団内
Tel 03−400−0079 (担当:村井範子/林淑姫)
ご協力くださる方にお心あたりのある方は事務局にご連絡ください。事務局から趣意書をお送りします。(林記)
尚、これまでにご寄付いただいた方は2月25日現在個人173名、団体6件、募金総額は1,736,000円となりました。ここにご芳名を記させていただきます。(受付順)
井田信夫 前田昭雄 川上■ 増本伎共子 大久保靖子 徳川義宣 秋岡陽 落合正寿 寺本まり子 多田逸郎 渡辺護 平石英雄 佐藤法子 稲垣静一 片岡啓一 小川昂 仲芳樹 松橋麻利 塩原礼次郎 鴛淵邵子 志鳥栄八郎 金沢正剛 鴇田信男 伊奈和子 塚田健一 元浜綏子 岸辺成雄 佐藤峰雄 田中敏長 東川清一 北条正韶 土田若子 葵妖子 竹内道敬 古本よしえ 遠藤安彦 山口修 浅野隆 吉田久五郎 川田京子 泉健 佐々木健太郎 桜井哲男 井上一清 荒川恒子 小林緑 高野紀子 水野みか子 池田千郷 井浦芳信 富田清邦 長坂幸子 松本總 吉田雅晃 平尾行蔵 平尾民子 武田霊道 野村良雄 徳永隆男 関根和江 梁島章子 後藤暢子 金沢朝佳 岩田宗一 山口敏栄 吉野直哉 寿岳章子 森節子 今まど子 有賀のゆり 正木光江 タグチヨウコ 岸本宏子 網干毅 毛藤美代 佐治順子 塚田れい子 小川伊作 津上智実 小林いつ子 片桐功 武田明倫 上田啓子 一柳富美子 白砂昭一 伊藤孝信 若山映子 近藤幹雄 礒山雅 多田美波 田辺久之 浅野菁子 森口邦彦 鈴木知 吉川英史 宮沢彰 植月博 幣原映智 塚越つた子 笠羽映子 安藤由典 船山隆 細谷新治 石井サチ子 佐野和彦 加藤信哉 安藤静枝 大津陽子 武谷安子 ベニテズ.M.ホアキン 相原宗和 佐藤みのり 有村祐輔 梅田英春 中井浩 江上照彦 阿部仁志 松下■ 林淑姫 小山弘志 吉岡容子 藤堂雍子 神戸愉樹美 草野妙子 丸山妙子 青木陽子 三浦八千代 樋口隆一 秋山龍英 井形ちづる 服部幸三 中村洪介 渡部恵一郎 古荘隆保 住川靭子 赤羽裕子 毛藤ミヨ 佐久間牧子 森本美恵子 篠田牧子 横井輝男 瀬戸郁子 戸沢義夫 藤井知昭 小嶋敏子 茂手木潔子 恩知元子 柘植元一 中村透 上法茂 橋本久美子 船山信子 門倉百合子 山城祥二 池田典子 水嶋良雄 高須道夫 中津愛子 姫野翠 細谷美也子 宮下安寿子 新田紘雄 信時裕子 小笠原長孝 永長信行 弘本伸枝 前川理女 難波正 志築達也 手代木俊一 イシカワミチコ 富永也寸子 月渓恒子 大川修 小倉理三郎
団体募金
尚美学園短期大学 エリザベト音楽大学 鹿児島短期大学 (財)民主音楽協会 桐明学園大学音楽学部 アカデミア・ミュージック
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EVENT計画について
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EVENT委員会(角倉一朗委員長)ではIAML東京会議1988に併せて以下のように関連企画を計画しています。
A. 旅行関係
1)施設見学(バス)
各コース定員40名(外国からの参加者を優先)無料。
Aコース(9月6日火曜午後)
NHK放送センター、国立国会図書館。
Bコース(9月8日木曜午後)
民者音楽資料館、国立音楽大学。見学会終了後国立音大でガーデン・BBQ‐パーティーの予定。
2)都内見学貸切りバスによる都内見物後、水上バスで墨田川を遡り、浅草仲見世などを散策します。
全員参加、参加費は登録料に含む。
同伴者、一日登録者は750C円。
3)ポスト・コンブェレンス・ツアー
Aコース 京都・奈良
9月10日(土)〜12日(月)
費用:72,700円(2泊3日)
新幹線利用、古都の寺院や伝統染色工芸館などを訪れる。
Bコース 富士・箱根・鎌倉
9月10日(土)〜11日(日)
費用:40,800円(1泊2日)
富士山5合目までバス登山、箱根で1泊、翌日は古都鎌倉を散策。
B. 展示会等
1)「日本の音楽出版物展」
期間:9月4日(日)〜9日(金)
会場:東京芸術大学音楽学部
企画:平岩寧
出展呼掛けは4月中旬から行い、5月末には説明会を開催の予定。
2)「日本音楽資料展」
期日:9月9日(金)
会場:上野学園日本音楽資料室
企画:福島和夫
JAPAN DAYのプログラムの一部として公開されます。解説は平野健次。
3)「日本のAV機器と資料展」
期日:9月上旬(詳細未定)
会場:YAMAHA銀座店(交渉中)
C. 音楽会等
1)日本の伝統音楽、現代音楽のチケット・サービス。
歌舞伎、能、狂言、現代音楽のチケットの確保と料金の一部補助。
2)JAPAN DAY
9月9日(金)午後l時30分から3時30分。
日本の伝統音楽と現代音楽に関するレクチャー・コンサート。
伝統音楽:解説 上参郷祐康
現代音楽:解説 船山隆
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IAMLと私 1960年代〜1970年代
上法茂
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前号では、IAML(国際音楽資料情報協会)の活動概要について紹介したが、今回は、私とIAMLとのかかわりについて、1960年代、1970年代を中心に述べてみたいと思う。
そもそも、私がIAMLの存在を知り、日本で初めて小川昂氏(当時NHK音楽資料課長)とともに会員になったのは1956年l月のことである。当時のNHK音楽資料室は、楽譜、レコードの所蔵数はもとより、わが国では最大規模のミュニシック・ライブラリーとして、大きな役割を果していた。1960年代に入って、BBC(イギリス放送協会)のミュージック・ライブラリアンであるJohn
H. Davies氏(1909−1972)が来日し、NHKを訪れた。同氏は1950年以来、IAML放送ライブラリー専門部会の委員長を務めていた、IAML会員の来日第一号である。来日目的の一つは、イギリス・バロック音楽の最大の作曲家へンリー・バーセル(1659〜1695)の「ディドーとエネアス」の筆写楽譜が日本の南葵音楽文庫に現存することの調査、確認であった。たまたま、それと相前後して、西ドイツから日本側へ「新バッハ全集」編集のため南葵音楽文庫の調査協力依頼が寄せられた。これらが機縁となって長い間眠っていた南葵音楽文庫コレクションの調査が進み、その現存する全貌が次第に明らかになってきた。
このコレクションの生みの親は徳川頼貞氏(1892一1954)で、1918年、当時の東京・麻布区飯倉にあった徳川邸内に完成されたばかりの南葵楽堂内に創設されたのが、そもそも南葵音楽文庫の始まりである。その後、1923年の関東大震災で南葵楽堂は使用不能となり、コレクションの焼失は免れたものの、一時閉館となってしまった。しかし、再建の話は急ピッチで進み、1925年、南葵音楽文庫は木造二階建の南葵音楽図書館として、その基礎を確立し、わか国におけるミュージック・ライブラリーの幕開けを告げた。ここに所蔵の特殊コレクションには、イギリスの音楽家W.
H. カミングス(1831〜1915)、オランダのチェロ奏者J.ホルマン(1852〜1927)、ドイツ・の音楽学者M.フリートレンダー(1852〜1934)のコレクションがあり、中でもカミングス・コレクションは世界的に有名で、南葵音楽図書館とカミングス・コレクションの存在は、わが国よりはむしろ海外で良く知られていた。しかしながら、1931年、徳川家所有の土地建物が経済的理由で整理を余儀なくされ、南葵音楽文庫も閉館せざるを得な〈なってしまった。以来、同館所蔵のコレクションは戦中・戦後の多難な時代を経て、その間、幾多の紆余曲折はあったものの、所有者は徳川頼貞氏から大木久兵衛氏の手に移り、その名も大木コレクション南葵音楽文庫として、その大部分がわが国に保存されている。そして1967年、戦後初めて、このコレクションの本格的な調査、分類、整理作業が日本近代文学館(東京都目黒区駒場)の一部に間借りして始められ、また、「南葵音楽文庫特別公開展」(主催読売新聞社)が東京と大阪で開催された。
この年(1967年)私は初めて、ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院で行われたIAMLの年次会議(8月24日〜29日)に出席した。日本からの初参加、しかも、私一人ということで大いに歓迎もされ、また、いろいろと質問も受けたが、中でも南葵音楽文庫の実情については関心が集まった。私はこれに対して、これまでの経緯を述べるとともに、東京の日本近代文学館内での公開を目指し、目下その本格的な整理作業が進められていることを伝えた。私が出席した「放送機関ライブラリー専門部会」は、1959年に会員各放送機関ミュージック・ライブラリーの国際協力のもと、Inventory
of Rare Orchestral Materials≠すでに完成していたのであるが、他方、この部会ではEBU(ヨーロッパ放送連合)プロジェクトを発足させ、楽譜のインター・ローン・ライブラリー・サービスを積極的に推進するなど、IAMLの活動の中では最も活発な専門部会の一つであった。我々は再会を約束し、ザルツブルクでの会議は無事終った。貪欲に動き廻った一週間は今となっては楽しい思い出である。
翌1968年、IAML第8回国際会議、第6回総会は初めてヨーロッパの地を離れ、アメリカで開催された。IMC(国際音楽評議会)との共催で、9月6日から15日まで、場所はニューヨークのリンカーン・センターとワシントンD.C.のLC(米国議会図書館)、会議のテーマは「音楽とコミュニケーション」であった。この会議では初めてパネル形式によるオープン・セッションがLCのクーリッジ講堂で行われた。「コミュニケーションとしての音の記録物…保存について」(司会はLCのミュージツク・ライブラリアンHarold
Spivacke博士)をテーマに、私も請われパネリストとして、わが国における保存の実情と効果的な格納システムを紹介した。一方、LCでは、すでに、書誌データの機械による処理と磁気テープへの蓄積により、MARC(機械再読目録)のセントラル・サービスを推進しており、これにならってミュージック・ライブラリー機械化計画がLC側から発表された。私は、この実情に触れ、この発表を聞きながら、ライブラリーはまさしく新時代を迎えつつあることを実感した。参加国はIMCを含めて39か国、参加者数は1,000名余を数え、また、IAMLの会長にフランスのVladimir
Fedorov氏(1901〜1979)、事務局長に西ドイツのHarald Heckmann博士が就任し、アメリカでの初めての国際会議は成功裡に終了した。ここで忘れられない思い出がある。それは、我々がジョンソン大統領夫人からホワイトハウスのディナーに招かれた時のことである。我々はアメリカのすばらしいホストぶりに大いに感謝したものである。しかしその反面、たまたま、我々のテーブルに同席していた東欧の美しい女性ライブラリアンが、その後アメリカへ亡命したと聞き、私はこの時、国際会議を取り巻く環境の、何か知られざる素顔の一面をかい間見たような思いがして複雑な気持に駆られた。この年は、8月にソ連とワルシャワ条約機構軍のチェコ侵入があり、東欧情勢は大きく揺れ動いていた。
1970年の6月に、チェコのMIC(ミュージック・インフォーション・センター)の代表Milena Galus Kova女史の来訪を受けた。その年開催されていた日本万国博覧会(EXPO
*70)にチェコの政府代表として夫妻で来日したのだが、しばらく日本に滞在するという。用件は、IAMLのMICの要請を受け、日本MIC設立の可能性について、しかるべき機関に打診したいが協力して欲しいということだった。当時、IAMLのMICとして正式加入を承認された各国MICの総数は21、アジア地域からはイスラエルを除くと皆無であづた。同女史の努力にもかかわらず、結局、日本MICの設立については日本側は極めて消極的で実現可能性の道すら見い出せないまま立ち消えとなり、今日に及んでいる。音楽活動が盛んな反面、それを支える基盤の弱いわが国にとって、この点一つ取り上げてみても、今後多く考えなければならない問題を残しているように思う。
さて、1971年、IAMLの第9回国際会議、第7回総会はスイスのザンクト・ガレンにある経済・社会科学大学院で、8月22日から一週間にわたり行われた。この会議の特色は、これまでになかった、各国放送機関ミュージック・ライブラリアンで構成される放送機関音楽ライブラリー国際作業委員会が中心となった公開会議が、一日開かれたということである。午前の部では「ラジオとテレビジョンの楽譜ライブラリー…それらの活動と音楽への貢献」をテーマに、午後の部は「放送機関サウンド・ライブラリーの組織と運営」をテーマに開催された。午後の部ではNDR(北ドイツ放送協会)のミュージック・ライブラリアンD.Lotichus氏が司会をつとめ、放送機関サウンド・ライブラり一の構成と機能、研究機関との協力、放送録音物の複製ならびにレコード会社との関係を中心に、各国放送局のミュージック・ライブラリアンから報告が行われた。ここで私は、わが国におけるミュージック・ライブラリー活動の現状を紹介するl←とともに、NHKのミュージック・ライフラりーについて、それがいかに運営され、収集、整理、利用、提供はどのように行われているか、そして、NHK音のライブラリー、NHKが所蔵するトスカニーニ・テープ・コレクションと南葵SPレコード・コレクションについて報告した。また、これに関連して、1970年、大木コレクション南葵音楽文庫が東京の日本近代文学館内に再開されたことも付け加えた。しかしながら、この再開も1978年には休館の止むなきにいたり、再び我々の目に触れる機会は閉ざされてしまった。以来、その状態は今日も続いている。大変残念なことである。
ところで、このザンクト・ガレンでの国際会議では、この公開会議のほかに、二つの注目すべき発表が行われた。一つは、レコード目録作成に関するスカンジナビア・プロジェクトについて、SR(スウ工一デン放送協会)のミュージック・ライブラリアンFolke
Lindberg博士(1959年〜61年、IAML会長)からの発表、もう一つは、西ドイツ放送網における目録分類法の統一についての、ケルン放送局ミュージック・ライブラリアン、K.
Neumann氏からの発表であった。前者、Lindberg博士によれば、1968年、SRでは、まずSPレコードを対象に機械検索による目録作業の研究開発を始め、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーのスカンジナビア3国の放送機関が協力して、この実用化を進めているということであった。レコードについては、これが世界でも初めての試みでもあったので、その後の成果は注目を集め、期待にたがわず、それは着実に実を結び、今日の基礎を築き上げていった。他方、Neumann氏からの発表によれば、西ドイツでは1960年代に入ってARD(西ドイツ放送連盟)の各方丈送局間に、番組交換をはじめ、録音テープ、レコードのインター・ライブラリー・ローン、すなわち、ライブラリー相互の貸借活動が活発になり、これら資料の目録作業を早急に標準化する必要性が生じたため、1966年、ARDはこのための委員会を設置して目録分類法統一の第一歩を踏み出した。そして、1970年、まず、音楽関係のレコード、録音テープを対象にした目録分類法を、また、1972年の秋までに音楽以外のものについての目録分類法を完成する予定で、そのうえで、近い将来、西ドイツの西ドイツ全放送網.はEDPで結ばれ、又、この計画を実行するにあたって必要となる専門のライブラリアン、ARD放送ライブラリアンという新しい分野のライブラリアンの養成も考えられているということであった。
それから15年以上の歳月が過ぎ、昨年、私はアムステルダムの年次会議に出席した際、ヒルバサムにあるNOS(オランダ放送連盟)のミュージック・ライブラリ一とユトレヒトにあるRIM(アマチュアの.ためのミュージック・インフォメーション・センター)を訪れる機会があった。そして、見事に開花した新時代にふさわしいミュージック・ライブラリーの一端に接し、わが国の実情と、大きな開きがあることを痛感した。
今振り返ってみると、1960年代〜1970年代は、欧米のミュージック・ライブラリーにとって、新時代に向けて基礎づくりが着実に芽生えていった時代ということができる。そして、それは1960年代〜1970年代のIAMLの新しい時代へ向けての新しい流れでもある。1974年からIAMLは、時代の要請に応え、IAMLの会員が母体となって設立されたIASA(International
Association of Sound Archives)と共催、1977年にはlFLA(国際図書館連盟)に団体加盟した。1978年には創立30範周年を迎え、1980年には、正式名称が従来のInternational
Association of Music LibrariesからInternational Association of Music Libraries,
Archives and Documentation Centresに改められ、情報化時代に対応する活動推進体制の基礎が確立され今日に至っている。
1973年、ロンドンでの年次会議で私は初めて日本からの仲間と会い、それ以後は、毎年何人かが日本から参加しているようである。さらに1979年6月にはIAML日本支部が設立され、1988年、今年の秋にIAMLの年次会誌が東京で開催される。この会議はIAML創立40周年、機関誌Fontes
Artis Musicae創刊35周年を迎える、意義深い会議となろうとしている。なお、これまで共催を続けてきたIASAの国際会議は、このあとウィーンで開催されることになっている。